曹操の親衛隊「虎豹騎」とは?曹休と曹真が所属した虎豹騎はその後どうなった?




 

絶大な信頼を受けた「曹真」

曹真を引き取り養う曹操 +曹丕

 

曹純、曹休と共に虎豹騎の指揮を執ったのが「曹真」です。曹真の父は曹操の挙兵にともなって一族として協力しますが、董卓(とうたく)の部下ともめごとを起こし、殺されてしまいます。曹操は父を亡くした曹真を不憫に思い、わが子同然に育てました。この時、曹休も同じように育てられています。

 

魏の重鎮になった曹真

 

曹真は虎を弓の一撃で殺すなど武勇で知られており、曹操によって虎豹騎の指揮に抜擢されたのです。彼は雍州(ようしゅう)涼州(りょうしゅう)方面の責任者として活躍しますが、呉の征伐の際は曹休などと共にその戦いに赴いています。

 

曹叡に蜀を征伐することの必要性を説く曹真

 

曹操の息子曹丕にも大いに信頼され、その死の間際には次の皇帝「曹叡(そうえい)」の補佐を司馬懿(しばい)などと共に任されています。

 

関連記事:曹真とはどんな人?蜀を滅ぼす計画を立てた魏の大将軍の生涯に迫る

関連記事:曹真の有能ポイントはどこ?「攻め」か「守り」かそれとも?

 

【北伐を阻止し魏を守った大将軍・曹真】
曹真

 




 

その後の虎豹騎

劉備軍に降伏する馬超

 

最後に虎豹騎の活躍が見られるのは馬超らとの戦い「潼関(どうかん)の戦い」で、そこでは歩兵部隊と連携し馬超(ばちょう)軍を敗退させています。その後は虎豹騎の活躍はあまり見られず、曹休や曹真もさらに栄達していたため、曹操の死後は部隊は縮小したのかもしれませんね。

 

曹爽

 

曹真の息子「曹爽(そうそう)」は大きな権力を手に入れますが、父と違い戦には弱く、さしたる戦績もないまま殺されています。

 

関連記事:馬超の死因は急死?それとも蜀に馴染めなかった?死因を考察

関連記事:関羽は馬超を敵視したのではなく利用した?関羽の荊州統治と北伐戦略

 

【曹操を二度追い詰めた錦馬超を徹底考察】
馬超特集

 




 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

曹真、曹休は騎馬において絶大な能力を持っていたようですね。当時は騎馬での戦いがとても重要でしたから、戦の花形として大いに注目を浴びたでしょうね。

 

関連記事:趙雲の一騎駆けとは?曹操軍のエリート部隊・虎豹騎をかわした漢

関連記事:曹休が虎豹騎と呼ばれる最強部隊を率いていた?どんな部隊なの?

 

【三国志の気になるアレコレを集計!はじ三総研】
一億二千万人の三国志

 

 

 




 

< 1

2

関連記事

  1. 楊彪を司空に任命させる董卓
  2. 荀攸
  3. 張遼 カカロットーーーー!
  4. 孫権 劉備 対立
  5. 弩(ど)を発射させる蜀兵士達
  6. 漢の顔良(がんりょう)

コメント

  • コメント (1)

  • トラックバックは利用できません。

    • 月友
    • 2022年 1月 14日

    北宋時代の太平広記に曹洪の家業についての記述がある。
    「魏曹洪、武帝從弟、家盈産業、駿馬成群。」

    曹洪の家は馬産をしていた。いわゆる馬のブリーダーです。駿馬成群と書かれているのでかなりの馬を生産していたようである。
    思うに曹真と曹休は曹洪のところで厄介になってるところを見ると虎豹騎は曹洪麾下の部隊であるかもしれない。曹洪自身も曹操を助けた時に自分の馬を提供してから強ち間違っては無さそうではある。(あくまで私見です)




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志倶楽部

“濡須口の戦い

“赤壁の戦い

“公孫瓚

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

3冊同時発売




PAGE TOP