郭嘉と荀彧と言えば曹操の勢力拡大に大きく貢献した軍師として知られていますね。実はこの二人は同郷で、郭嘉を推薦したのは荀彧だったのです。
優秀な二人はどんな関係だったのでしょうか?
今回の記事で考えてみましょう。
この記事の目次
荀彧は最初に袁紹に会っていた?
郭嘉、荀彧ともに豫州潁川郡出身です。こちらは現在の河南省許昌市にあたり、「中華文明発祥の地」と言われており、多くの人材を輩出した土地でもあります。荀彧は名門の家に生まれましたが、故郷が戦乱に巻き込まれ、他の土地に移住しましたが、その地は袁紹に占領されました。
その時に袁紹の招きを受けたのですが、荀彧は袁紹の人物に失望し、曹操に仕えることになったのです。
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袁紹、郭嘉にも逃げられる
一方郭嘉は荀彧より7歳ほど年下になります。彼は若いころから洞察力に優れた人物として知られ、各地の学識者の間でひそかに有名でした。
郭嘉は始め、親戚の郭図らが仕えていた袁紹に面会しました。しかし、荀彧と同じく袁紹に将来性を感じる事は出来ず、袁紹の下を去ります。この時、郭図ら同郷の袁紹の武将には袁紹の欠点を示し、警告をしたといいます。
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荀彧、曹操の下で活躍する
荀彧を迎えた曹操は「荀彧は我が子房(前漢の劉邦の知恵袋、「張良」のこと)である」と大いに絶賛し、荀彧は常に曹操に付き従っていた、といいます。
李傕・郭汜に圧迫され、後漢の「献帝」が洛陽に逃亡してきた際には荀彧は彼を迎え入れるように強く進言しました。曹操はこの意見を採用し、献帝を迎え入れることにより絶大な権力を手に入れることに成功します。
荀彧はますます信頼され、曹操は全ての事を荀彧に相談をしていたそうです。
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荀彧、曹操に郭嘉を推薦する
曹操が献帝を迎え入れたころ、荀彧は曹操に「優れた人物がいる」といい、「戯志才」という人物を推薦しました。彼は正史「三国志」にもほとんど記述はありませんが、曹操は彼の事を「見どころがある」と買っていたようです。
しかし戯志才は曹操に仕えた直後に亡くなってしまい、曹操は荀彧に再び「優れた人物はいないか?」とたずねます。そこで荀彧が推薦したのが「郭嘉」でした。荀彧と郭嘉は同郷であり、おそらくその才能をよく知っていたのでしょう。
郭嘉と曹操は会見をし、二人は意気投合、曹操は「彼なら我が大業を成就できる」と絶賛し、郭嘉も「ようやく我が主君が見つかった」と大いに喜んだのです。これで曹操は「荀彧」「郭嘉」という当時屈指の知恵者を家臣に迎えることに成功するのです。
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