魏は曹操がその基盤を造り上げ、そして曹丕が国としました。曹操の父親が元々は夏侯氏、ということもあって国の成り立ちとして曹家、夏侯家の二枚看板でもあったことでしょう。
しかし、この関係に亀裂を入れかかった存在がいます。
それは曹丕の友人、夏侯淵の甥である夏侯尚。今回はそんな夏侯尚についてちょっとご紹介しましょう。
この記事の目次
曹丕と親友だった夏侯尚
夏侯尚は夏侯淵の弟のこと言われており、若い頃から知謀に優れた人物でした。縁戚関係ということも相まってか曹丕とは仲が良く、俗にいうマブダチであったものと思われます。
そんな彼は戦乱の世に生まれ、若い頃から従軍して経験を積んでいきます。多くの遠征、反乱軍鎮圧などに参加し、220年、平陵郷侯、征南将軍、荊州刺史、仮節都督南方諸軍事という地位の高い、魏の要職に就きます。ひとえに彼の才覚を評価してのことでしょう。
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呉との戦いで昇進する夏侯尚
222年、曹丕が呉を三方面から攻める、三方面作戦が始まります。
この際に夏侯尚はその知謀の才を遺憾なく発揮し、火攻めで諸葛瑾の水軍を打ち破る、敵の作戦を見破って素早く退却するなどの活躍を行いますが、結果として病気が蔓延したこともあって、魏は退却することになりました。
夏侯尚は加増され、より魏のために働くことに……なるかと思いきや。
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愛人をつくり正室を放置する夏侯尚
ここで突如……かどうかはプライベートなことなので分かりませんが、夏侯尚は愛妾にハマり込んでしまいます。そして巷では「夏侯尚は正室を蔑ろにして愛妾ばかり可愛がっている」と噂が流れ始めました。
その噂はどんどん広がり、やがて曹丕の耳に入ってしまいます。曹丕は激怒し、部下に命じて愛妾を殺害させました。
この一件で夏侯尚、心を病みます。その病み方は尋常ではなく、お墓を掘り起こして遺体を取り戻そうとするほどだったとか。
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夏侯尚は精神を病んで死に曹丕は後悔
曹丕は夏侯尚とマブダチだったと言いましたが、かつて二人が親しくしていることを知ると杜襲が曹操に苦言を呈しました。
「夏侯尚は人に利益を与える人ではないし、特別待遇はしない方が良いですよ」
これを聞いた曹丕はその時は不機嫌になったと言いますが、夏侯尚の有様を見て「あの言葉は最もだった」と言ったそうです。
しかしこの後はこの振る舞いを後悔して夏侯尚の死を悼むのですが……あ、夏侯尚はこの後、心を病んだままお亡くなりになります。何とも言えない最期ですね……。
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夏侯尚の正室は曹真の妹
さて、現代の感覚で言うと「奥さんほっぽって愛人に入れ込むなんて!」と思ってしまう夏侯尚ですが、これは三国時代のお話、色々と事情が違ってきます。
今回はそこを説明するとして、まずは夏侯尚の正室のお話から。
まず夏侯尚の正室は曹真の妹です。曹真将軍の妹君を蔑ろにするとか絶許では?
つまり曹家の娘さんなのですね。
ここ、重要なポイントです。
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