氷城の計とはどんな計略?婁圭が編み出し曹操も採用した謎の奇策

2022年5月2日


 

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曹操に降伏したくない張衛

 

様々な戦いで勝利を収めた曹操(そうそう)ですが、中には奇策を用いての勝利もあります。そんな中で特殊なのが「氷城(ひょうじょう)の計」、なのではないでしょうか。

 

氷城の計 曹操

 

このエピソード、正史三国志(せいしさんごくし)の「注」において語られており、曹操がなんと「氷の城」を作った、というものです。これがいわゆる「氷城の計」と言われるものですが、それはどんな計略だったのでしょうか?

 

今回の記事ではその「氷城の計」について紹介します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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出典は正史三国志の「注」

歴史書をつくる裴松之

 

「氷城の計」のエピソードは正史三国志の「注」に見られます。「注」というのは「裴松之(はいしょうし)」という人物が正史三国志に様々な書物から抜き出したエピソードを注釈として追加した文章です。

 

同年小録(書物・書類)

 

「氷城の計」は「曹瞞伝(そうまんでん)」という書物から引用されています。「曹瞞伝」は呉で書かれた書物で曹操に関する逸話が書かれていたようです。

 

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はじめての三国志データベース

 

 

 

曹操、馬超と戦うも苦戦する

五斗米道の教祖・張魯

 

西暦211年、曹操は漢中を奪取すべく、その地を支配していた「張魯(ちょうろ)」を攻めようと計画します。その流れで自分たちの領土が脅かされた「馬超(ばちょう)」や「韓遂(かんすい)」は曹操に戦いを挑むことにしたのです。

 

オラオラモードで曹操を追い詰める馬超

 

馬超軍と曹操軍は「渭水(いすい)」(黄河の支流の河)周辺で激突することになります。しかし、渭水周辺は地質が悪いのに加え、馬超軍の度重なる攻撃に会い、曹操軍は守りの要である「砦」をなかなか築くことができませんでした。

 

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馬超特集

 

 

曹操に「氷城の計」を用いる

曹操を追い詰めた馬超

 

なんとか砦が完成しても、馬超軍は神出鬼没(しんしゅつきぼつ)で夜襲を好み、砦を焼き討ち、そして水攻めするなどあっという間に砦を使用不要にしてしまいます。困り果てた曹操の元にある一人の男が現れます。それは「婁圭(ろうけい)」という男です。

 

彼は曹操に仕えていたようですが、曹操にアドバイスをします。「今は寒い時期でございます。砦は未完成でも、水をかけておきましょう。そうすると夜が明けるころには砦が完成していることでしょう。」と言います。

 

曹操

 

曹操はその提言を受け入れ、砦に水をかけておきます。するとなんと、朝になると砦にかけた水が凍り、「氷の城」が完成しているではありませんか。この砦を用い、曹操は馬超軍と戦うことができたのです。これが「氷城の計」です。

 

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婁圭とは何者か?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

曹操にアドバイスをした婁圭とは何者なのでしょうか?

 

彼は荊州(けいしゅう)の生まれで、若いころは「俺は後世に名を残す男になる」と常々大言し、人々に笑われていたそうです。その後は荊州で兵を集め、乱世の群雄の一人として名を知られるようになっていました。

 

張済

 

この時、荊州の食料を狙い、董卓(とうたく)の部下だった「張済(ちょうさい)」が襲撃してきますが、婁圭は劉表(りゅうひょう)と組み、これを撃退します。しかし、一度は支配下に置いた「王忠(おうちゅう)」という武将が、婁圭の下につくことを好まず、逆に婁圭を戦いで破ってしまいます。その後は劉表の元は離れ、曹操軍に身を寄せることになりました。

 

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李傕・郭汜祭り

 

 

曹操軍での婁圭とその最期

曹操

 

曹操は婁圭を高く評価していたのか、将軍職に就けます。ただ、戦場には出さず、いつも会議で意見を聞いていたそうです。おそらく婁圭は軍師的な立場だったのでしょう。

 

曹真を引き取り養う曹操 +曹丕

 

そんなある日、曹操は息子たちとともに外出し、婁圭も従います。しかし、その時婁圭は「曹操家の父子はこんな楽しみを味わったことがあるのかなあ。」と軽口をたたきます。

 

ブチ切れる曹操

 

これを聞いたあるものが曹操にこれを伝えると、曹操は「誹謗中傷だ」と激怒し、婁圭を処刑してしまいます。前述の王忠の件と言い、軽口の件といい、婁圭はあまり性格的に優れている人物ではなかったのでしょう。ちなみに小説「三国志演義(さんごくしえんぎ)」などでは婁圭は「仙人」という設定にされ「夢梅道士(むばいどうし)」という謎の男になっています。

 

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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