三国志に出てくる張魯といえば、五斗米道の教祖。そして三国志では既に末期になっていますが、この時代の王朝である漢王朝を興した高祖・劉邦の功臣の一人として有名なのが張良です。
さて何の共通点があるのか、と思われそうですが、実はこの張良と張魯、祖先と子孫の関係なのです!という訳で、今回はこの張魯と張良の関係についてお話したいと思います。
この記事の目次
韓の王族だった張良が始皇帝に故郷を滅ぼされる
まずは張良について少しお話をしましょうか。張良は父も、祖父も韓の宰相を務めた国の重鎮中の重鎮でした。つまり「韓の」名家のおぼっちゃんです。そしてその韓は、秦によって滅ぼされました。
韓の名家であった張良の、国を滅ぼした始皇帝への恨みは深かったのでしょう。張良の人生の前半は、秦の始皇帝への復讐に満ちたものだったのです。
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始皇帝暗殺に全財産費やすが失敗
張良は始皇帝の暗殺を考えます。張良は残されていた全財産を始皇帝暗殺のために使い、刺客を雇ったのでなんと弟の葬式も出せなくなっていました。ここから、ある種の狂気をも感じますね。
そうして張良は後にその願いを叶えてくれるであろう力自慢の人物に出会い、遊幸に訪れた始皇帝を暗殺しようとします。その方法は、約30㎏の鉄の塊をぶつけて車ごと押し潰すという暗殺というイメージとはちょっと違ったパワフルなものでした。
しかしこの暗殺は失敗、お尋ね者となった張良は名を変えて逃亡することになりました。
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劉邦と出会って意気投合
名を変えて世に潜んでいた張良、そして時は流れ、始皇帝も死亡。そして始皇帝の死と奸臣たちの跳梁跋扈の時代になり、張良もこの世の表舞台に再び立ち上がろうとします。そこで向かったのは景駒という人物の所だったのですが……そこに行く途中、ある人物と出会いました。その人物こそが、劉邦。
劉邦は張良の話を良く聞き入れ、張良はそんな劉邦を「天から授かった英傑」として仕えることにしました。ここに「子房」が生まれたのです。更に言うなら、この張良こそが後の世で五斗米道の教祖をしていた、張魯の先祖なのです。
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歴世真仙體道通鑑に出てくる張魯と張良の繋がり
ここでまず見て頂きたいのが、歴世真仙體道通鑑。これは簡単に説明すると実在、伝説含めた数多くの仙人たちが記録されているものです。
その十八巻、張天師。これは張魯の祖父に当たる、張陵の伝なのですが……これに張陵は張良の子孫だと記録されています。張陵は五斗米道の教祖、というよりも五斗米道を開いた開祖です。この張陵の孫ということで、張魯の祖先も張良ということになるのですね。まあ三国志自体にはほぼ出てこない内容ではありますが……。
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張良が出会った仙人黄石公
と、張良と仙人は何にも関係ないのか、と言うとそうでもない逸話があります。かつて、始皇帝をパワフル暗殺未遂を起こして逃亡生活をしていた張良。そんな中、彼はとある老人と出会います。
最初こそ険悪な関係だったものの、後に誠心誠意向き合った結果、老人から好かれた張良は太公望の兵法書を授かり、また老人は「自分の正体は黄石」と言い、更に13年後にまた再会の約束をしました。
その後、13年後に再会こそ叶わなかったものの、張良はそこで黄石を拾います。この石は家宝として祀られ、張良の死後は一緒に埋葬されたそうです。そう、張良はかつて、このような不思議な体験をしています。つまり後の世で子孫が仙人として目覚めたのも、この出会いの結果、もしくはそういった不思議なものと関わり合いになる血筋だったとも考えられます。
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