今回は皆さんも大好き呉王、孫権様の配下武将である潘璋のお話です。さてこの潘璋、気性が荒い、荒すぎることで有名な呉の武将の中でも、キラリと輝く「悪い」イメージがある武将でもあります。
その悪面については別記事でご紹介しているのですが、今回はその潘璋の悪面をできるだけ良い方向性で考えてみよう!というのがテーマ。はてさて、筆者の考察がどうなるか、皆様ちょっとお付き合い下さいませ。
この記事の目次
合肥で張遼を止めた潘璋
潘璋はその豪胆な性格を孫権に好まれていたようですが、決してそれだけで出世していった訳ではありません。彼が最も活躍した、その活躍が認められたのが有名な合肥の戦い。
張遼によって完膚なきまでに叩きのめされた呉軍、しかしそんないまにも瓦解しそうだった呉軍の軍勢を率いて、張遼を決死の覚悟で食い止めたのが潘璋です。この統率力、苦難の現場における判断を孫権は高く評価したといいます。
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市場での不正を厳しく取り締まる潘璋
その後、他にも関羽討伐、夷陵の戦いなどでも潘璋は日々功績を立てます。このため孫権が皇帝になった際には右将軍にまで出世し、更に名を挙げました。
また判断能力や統率力を孫権に評価されたと言いましたが、嘗て潘璋は市場監視を行っていた際には厳粛な態度でその仕事に向き合い、不正が起こることはなかったとまで言われています。
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金持ちから金品を巻き上げる潘璋
ここまでだと己にも部下にも厳しく、清廉な人柄かと思ってしまうかと思いますが、それだけで終わらなかったのが潘璋という武将。不思議なことに「彼が市場監督をしている時は不正は起こらなかった」と言われながらも、一方では「お金持ちだった役人や部下に罪を着せ、その財産を取り上げることを何度もやった」とも記録されています。
これらは孫権に上奏されるも、潘璋の働きから孫権は目こぼしをしていたようです。
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家が貧しくお金にがめつい潘璋
さて潘璋がやたら他人の金品を強引な方法で奪うようになったのは晩年になってと言われていますが、そこには潘璋の過去が影響していたのかもしれません。というのも潘璋は若い頃は貧乏だったのです。そんな中でも潘璋は日々、真面目に筵を売り勉学に勤めながらも、母親のために高価なお茶を買い……というどこかで見たような清貧なエピソードは特になく。
寧ろ酒好きだった潘璋は平気でつけで酒を飲んでは「出世したら払うから!」と言っていたと言います。出世できなかったらどうする気だったんだ。
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矛盾した潘璋の話を統一するセンさん
ここまでの潘璋の性格をまとめてみると
・混乱する軍を見事にまとめ、主と軍の窮地を救う統率力と判断力の持ち主
・市場監督をやっていた際には厳粛な性格から不正を行わせることはなかった
・お金持ちな人たちに罪を着せて金を巻き上げることを何度も繰り返した
……並べてみると、同一人物の話をしているように見えないですね。しかしこれをよくよく考えこんでみてみると……意外と両立できるのではないでしょうか?
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