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この記事の目次
……なぜ貴方がここに?
さてはて、卞夫人の冷静さはご理解頂けたとして、ちょっと不思議さが残りませんか?
「何で袁術ここにいるの?いやいや貴方もいまヤバいでしょ?」と、思われるかもしれませんね。
もう少し話すと、この後、曹操が行方不明の間は卞夫人らの世話をしたのは袁術だと言います。もしかして卞夫人が美人だったから?
これはトライアングルラブロマンスの香り?
そうではありません、ちゃんと袁術と卞夫人、交友関係があったのです。
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意外な所
袁術にも何人か家族はいますが、その内に、名前は不明ですが妹がいたようです。この妹さんの性格や趣味嗜好などは不明ですが、この女性、卞夫人と交友関係があったのです。
「古文苑」によるものですが、ここで彼女と卞夫人とが手紙のやり取りをしていたという話があります。実際にはどこまで親しかったのかは分かりませんが、妹と交友関係があったから袁術は曹操の生死を卞夫人に伝え、その後も世話をやいたのかもしれません。意外な交友関係ですね。
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もっと意外な所
と、実はこの交友関係、まだもうちょっと広がります。この卞夫人と手紙のやり取りをしていた袁術の妹、楊彪に嫁いで息子を産んでいます。そう、この婦人、なんと楊修の母親なのです。
※「楊脩」とも表記される。
後に楊修はその才覚を曹操に見込まれ、息子、曹植の教育係に任命されます。もしかしたらその任命についても、妻同士、母親同士が親しかったから、その縁で楊修を知った……というのはあったのかもしれませんね。……まあ、処断されちゃうんですが(台無し)
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三国志ライター センのひとりごと
はてさて、卞夫人を見ていたら驚きの人物に繋がりました。楊修まではいいとしても、袁術にまで交友関係が広がったのは驚きです。
時に出身地が同じというだけで信用して貰える三国志の世界、一人でも多くの知り合いを持っておくのは命運を分けることもしばしば。そう考えると、卞夫人の交友関係はさり気なく、曹操を助けたこともあったりなかったり……するかもしれませんね。
どぼん。
参考文献:魏書 武帝紀 后妃伝 袁術伝
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