曹操の妻、卞夫人の不思議と広い交友関係を考察

2022年7月19日


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曹丕を生む卞夫人と曹操

 

曹操(そうそう)の妻の一人、卞夫人(べんふじん)。正しく呼ぶならば武宣卞皇后(ふせんべんこうごう)と呼ばなければならないかもしれませんが、ここではまあ卞夫人と呼ばせて頂きます。

 

曹操

 

乱世の奸雄(かんゆう)、治世の能臣を支え続け、曹丕(そうひ)曹彰(そうしょう)曹植(そうしょく)曹熊(そうゆう)という曹操足る……じゃない、そうそうたる面子を産み育てた女性である彼女は、賢妻としても有名ですね。そんな彼女、実はちょいと不思議な交友関係を持っていたことはご存知でしょうか?

 

今回はそんな卞夫人の交友関係をご紹介しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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元々は歌妓

卞夫人 曹操

 

卞夫人は元々歌妓(かぎ)をしており、曹操に見初められて妻に迎え入れられました。後の皇帝となる曹丕だけでなく、その弟である曹彰、曹植、曹熊らを産み育てた女性でもあります。

 

曹真を引き取り養う曹操 +曹丕

 

因みに皆さんご存知、()の大将軍、その身体の大きさは偉大さと懐の広さであることは常識、曹真(そうしん)大将軍は幼少期に父を失い、それを憐れんだ曹操が曹丕と起居を共にして育てたとあるので、もしかしたら曹真を育てたのも卞夫人だったかもしれませんね!

 

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前妻(丁夫人)とも仲良く

丁夫人

 

その卞夫人が妻に迎え入れられた時、曹操の正室にいたのが丁夫人(ていふじん)です。丁夫人は元々身分が低かった卞夫人を嫌い、辛く当たっていました。しかし卞夫人は常に礼儀を持って丁夫人に接し、丁夫人が曹操と離縁した後も配慮をしていたので、後に丁夫人も卞夫人に感謝していたと言います。

 

数多く妻を持つと女の争いも熾烈化する印象がありますが、卞夫人はそんな争いをするタイプの女性ではなかったのです。

 

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曹操脱出(なお家族)

一人で逃げる曹操

 

さて時代は董卓(とうたく)の絶頂期。董卓は曹操を仲間に引き入れようとしますが、曹操はそれを良しとせず。争いに巻き込まれない内に曹操は都を出奔!

 

朝まで三国志 丁夫人

 

しかし大慌てで逃げてしまったため、家族は置き去りにされてしまいました。曹操の生死も分からぬまま、卞夫人らは取り残されてしまったのです。そんな卞夫人のとこにある人物が訪れます。

 

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袁術:「はちみつちょうだい(※言ってない)」

袁術

 

「なんか曹操死んじゃったらしいよ!ここもヤバいよ!(意訳)」

 

そんな曹操の訃報を届けてきたのは後に皇帝として覇権を握る……握る?袁術(えんじゅつ)

 

曹操のとんでもない話を聞いた従者たちは大慌て。しかしそれを宥めたのは卞夫人でした。「夫がまだどうなっているかは分かりません。それなのに慌てていては、生きて戻ってきた時に合わせる顔がないでしょう。もしも亡くなっていたとすれば一緒に死ねば良いこと。慌てることなど何もありませんよ」

 

この冷静さが、彼女を後に皇帝の母にまでしたのではないでしょうか。曹操は無事で、家族は再び再会できたのでした。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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