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袁紹軍、大軍で迫る
袁紹軍の兵力は推定10万、曹操軍は推定2万と言われ、大きな差がありました。そこで袁紹軍は一気に決着をつけようとしたのですが、曹操の参謀「荀攸」は作戦をたてます。少数の兵で袁紹の背後を襲わせるように見せたのです。
袁紹はこの情報をキャッチすると不安になり、兵をそちらの方面に割くことになってしまいます。
「官渡の戦い」の前哨戦は「白馬」という場所で行われましたが、この戦いは袁紹軍の兵力が少なかったこともあり、曹操軍が白馬では勝利しました。
この戦いで曹操軍にいた「関羽」が敵将を斬るなど活躍しています。
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官渡決戦
その後、袁紹は官渡に兵を進めます。両軍はここでにらみ合い、多少の戦いはあったものの、3か月もの膠着状態に陥ります。ここで曹操が力を入れたのは、袁紹軍武将の引き抜きでした。
その中で「許攸」という人物が大きな働きをしました。彼は袁紹に奇襲の提案をしたのですが、断られ曹操軍に走ったのです。
彼は袁紹軍の兵糧の保管場所を知っていました。これは「鳥巣」という場所で守備も手薄でした。
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曹操、天下分け目の戦いに勝利する
曹操は早速行動に移ります。兵を袁紹軍の兵のように偽装させ、あっさりと鳥巣に潜入することに成功。曹操軍は「張遼」ら精鋭で、弱い鳥巣の守備兵は一たまりもありませんでした。
曹操軍は袁紹軍の兵糧を焼くことに成功、食糧を失った袁紹軍は兵の脱走が続出します。これを逃さず曹操は全軍突撃、袁紹軍を散々に破ります。
袁紹はわずかな共とともに逃走、大きく勢力を減じ、2年後に亡くなります。この戦いにより曹操は中国北部を制覇し、天下統一に近づいたのです。
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三国志ライターみうらの独り言
「官渡の戦い」は勢力が増した二大勢力が激突したまさに天下分け目の合戦でした。袁紹の敗因は「人望」のなさ、これに尽きるでしょう。人をうまく扱えない指導者は組織を保てないのは今も同じですね。
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