官渡の戦いはなぜ起きた?曹操 vs 袁紹の大決戦を考察

2022年7月23日


 

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官渡の戦いの起因

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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袁紹軍、大軍で迫る

曹操VS袁紹

 

袁紹軍の兵力は推定10万、曹操軍は推定2万と言われ、大きな差がありました。そこで袁紹軍は一気に決着をつけようとしたのですが、曹操の参謀「荀攸(じゅんゆう)」は作戦をたてます。少数の兵で袁紹の背後を襲わせるように見せたのです。

 

袁紹はこの情報をキャッチすると不安になり、兵をそちらの方面に割くことになってしまいます。

 

官渡の戦い 騎馬兵

 

「官渡の戦い」の前哨戦(ぜんしょうせん)は「白馬(はくば)」という場所で行われましたが、この戦いは袁紹軍の兵力が少なかったこともあり、曹操軍が白馬では勝利しました。

 

顔良と関羽

 

この戦いで曹操軍にいた「関羽」が敵将を斬るなど活躍しています。

 

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官渡決戦

力をつけ始めた曹操をぶっ潰そうと考えた袁紹

 

その後、袁紹は官渡に兵を進めます。両軍はここでにらみ合い、多少の戦いはあったものの、3か月もの膠着(こうちゃく)状態に陥ります。ここで曹操が力を入れたのは、袁紹軍武将の引き抜きでした。

 

許攸の進言を無視する袁紹

 

その中で「許攸(きょゆう)」という人物が大きな働きをしました。彼は袁紹に奇襲の提案をしたのですが、断られ曹操軍に走ったのです。

 

袁紹を裏切り兵糧庫の場所を曹操に教える許攸

 

彼は袁紹軍の兵糧の保管場所を知っていました。これは「鳥巣(うそう)」という場所で守備も手薄でした。

 

 

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曹操、天下分け目の戦いに勝利する

兵糧庫の中を一杯にした任峻

 

曹操は早速行動に移ります。兵を袁紹軍の兵のように偽装させ、あっさりと鳥巣に潜入することに成功。曹操軍は「張遼(ちょうりょう)」ら精鋭で、弱い鳥巣の守備兵は一たまりもありませんでした。

 

兵糧を焼かれて慌てる兵士

 

曹操軍は袁紹軍の兵糧を焼くことに成功、食糧を失った袁紹軍は兵の脱走が続出します。これを逃さず曹操は全軍突撃、袁紹軍を散々に破ります。

 

兵糧不足に苦しむ袁紹

 

袁紹はわずかな共とともに逃走、大きく勢力を減じ、2年後に亡くなります。この戦いにより曹操は中国北部を制覇し、天下統一に近づいたのです。

 

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三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

「官渡の戦い」は勢力が増した二大勢力が激突したまさに天下分け目の合戦でした。袁紹の敗因は「人望」のなさ、これに尽きるでしょう。人をうまく扱えない指導者は組織を保てないのは今も同じですね。

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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