「正史三国志」から見る曹操の性格とは?本当に冷徹な現実主義者?

2022年2月26日


 

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曹操に立ち向かう劉備と孫権

 

言わずと知れた「三国志」屈指の英雄、それが曹操(そうそう)です。しかし、曹操を悪役とする「三国志演義」の影響からか、どうしても曹操の評価は、優れた能力を持つ一方で極悪非道な「ダークヒーロー」的なものになってしまっています。

 

馬超が生きている限り安心して眠れない曹操

 

そこで、今回の記事では、「正史三国志」をもとに、物語的な虚飾を排して、曹操という人物の性格に迫っていきたいと思います。

 

 

冷徹な現実主義者・曹操

王芬のクーデターが失敗すると見抜く曹操

 

「正史三国志」を見る限り、曹操の性格を一言に要約するとすれば「冷徹な現実主義者」に尽きると思います。「正史三国志」での曹操は、ある一定の目標を定め、一切の先入観や固定観念を排して目標へと邁進する人物として現れます。

 

曹操が手元に置いておきたかった韓浩

 

曹操の特徴として才能のある人物を重用するという点が良く挙げられますが、曹操のそれははっきり言って度を越していると言えます。

 

曹操と張繍(張繡)

 

例えば、曹操は自分と敵対した張繍(ちょうしゅう)を攻めて2度にわたって敗れ、あわや命を失いかけています。

 

賈詡と曹操と張繍(張繡)

 

しかしそれでも、張繍が降伏しようとした際には、彼をあっさりと受け入れ、張繍の部下にして自らを殺すための献策をした軍師の賈詡(かく)をあろうことか自分の軍師にしてしまいます。

 

曹操に重宝される賈ク

 

このようなことは常人にはできることではありません。天下獲りという目的のためには、私怨をあっさり水に流せるほどの器の大きさ、これこそが曹操の非凡な性格の一つではないでしょうか。

 

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三国志ライフ

 

 

 

人材の利用価値を見極める能力

郭嘉の悪い点を指摘する陳羣も評価する曹操

 

曹操の冷徹さは、単にかつての敵を味方につけるというところだけではありません。曹操は人材を、天下獲りのための道具として見ているという側面があるのです。

 

袁紹を裏切り兵糧庫の場所を曹操に教える許攸

 

例えば、袁紹(えんしょう)の部下だった許攸(きょゆう)は、官渡(かんと)の戦いの時に袁紹を裏切って曹操に袁紹軍の兵糧のありかを教え、これが曹操の勝利のきっかけとなりました。

 

馴れ馴れしい許攸に嫌悪感を抱く曹操

 

しかし、曹操は大功労者の許攸が欲深く傲慢な人物であることを見抜くと、あっさりと処刑しています。

 

禰衡と曹操

 

また、才能あふれる禰衡(でいこう)を出仕させ、禰衡の無礼な言動を聞き流しますが、自分が禰衡を御しきれないと悟るや、すぐに禰衡を荊州(けいしゅう)に追放しています。

 

禰衡

 

このように、曹操はただ単に才能ある人物を登用するのではなく、その才能が自らの目的実現に適う者であるかを見極め、そうでなければ才能があっても容赦なく切り捨てるというところが、曹操が非凡な現実主義者であるゆえんですね。

 

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春秋左氏伝

 

 

儒教への挑戦

孔子と儒教

 

その一方で、曹操は前漢の武帝(ぶてい)以降、漢帝国において中心的な価値観となっていた儒教をあまり重視していませんでした。前漢の武帝が導入した官吏登用制度では、儒教道徳に優れた者が「孝廉(こうれん)」として官吏に推挙されていたのです。

 

儒教の教えを大切にした若き王莽

 

この制度は実際には有力者の子弟が主に推挙されるようになって形骸化しますが、それでも儒教は漢という王朝において絶大な影響力を誇っていました。しかし、曹操はあまり儒教を尊重したようには思われません。これには、曹操の出自が関係していると考えられています。

 

曹操

 

曹操は宦官(かんがん)の家系に生まれますが、子を残せない宦官は究極の親不孝者として、儒教的には蔑まれていました。儒教の下で鼻つまみ者とされていた宦官の一族に生まれたからこそ、曹操は儒教を絶対的存在としてはみなさず、伝統的権威である儒教に対して明確に挑戦的な態度を取ります。

 

荀彧に手紙を送る衛覬(えいき)

 

これは、曹操の行動に現れています。曹操は旗揚げ当初こそ、荀彧(じゅんいく)荀攸(じゅんゆう)陳羣(ちんぐん)らの孝廉に推挙された者たちを登用しますが、天下の大半を手中にした210年には「唯才是挙(ゆいざいぜきょ)」(才能のみによって推挙せよ)のスローガンを掲げ、儒教道徳とは関係なしに、才能のある者たちを登用し始めます。

 

処刑を下す曹操

 

そして、208年に孔子(こうし)の子孫であった孔融(こうゆう)を処刑したことは、曹操の儒教に対する挑戦の最たるものなのです。

 

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孔門十哲

 

 

情に厚い曹操

勘違いで殺めてしまう曹操

 

では、曹操は目的の達成のみに全力を傾ける、冷徹な機械のような男なのでしょうか?

 

曹操の器量に惚れ込み家臣になった朱霊

 

もしそうなら、曹操はここまで人気のある人物とはなっていないでしょう。曹操は人の心を持たない機械のような男では決してなく、むしろ情に厚い男なのです。

 

曹操に招かれウキウキする曹嵩

 

曹操は、父親や自分の一族には深い愛情を持っています。

 

陶謙軍に襲われ財宝を盗まれ亡くなった曹嵩

 

例えば、曹操の悪行として知られる徐州(じょしゅう)での虐殺ですが、これは徐州の陶謙(とうけん)が曹操の父親・曹嵩(そうすう)や曹一族を殺害したことに対する苛烈な報復でした。

 

ブチ切れる曹操

 

冷徹な現実主義者である曹操にしては珍しく、このような怒りに任せた行動をとったのは、やはり父親や一族に対する思いがその背景にあったと考えるのが自然ではないでしょうか。また、曹操は天下獲りのためには、かつての盟友であっても容赦なく討ち倒しています。

 

曹操の再度仕官の勧誘を断る陳宮

 

しかし、曹操は決して冷血漢なのではなく、時には自らが滅ぼした盟友を思い、涙することもあるのです。例えば、曹操を裏切って呂布(りょふ)についたかつての盟友、陳宮(ちんきゅう)は曹操に敗れ、捕らえられて処刑されることになりますが、曹操は死にゆく陳宮を見て涙し、その家族を一生涯に渡って世話したと伝えられています。

 

若い頃の袁紹と曹操は仲が良い

 

また、同じくかつての盟友にしてライバルであった袁紹を破り、袁家を滅ぼした後、かつての盟友の死を悼んで袁紹の墓を祀り、袁紹の家族の面倒を見たと言われています。

 

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陳宮

 

 

三国志ライター Alst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。こうしてみると、曹操は徹底的に私情を抑え込んで目的のために行動できる冷徹な現実主義者である一方、時に情に厚いところも見せるという矛盾した側面を併せ持つ人物なのですね。曹操という人物の魅力は案外、こうした二つの性格のギャップにあるのかもしれませんね。

 

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合肥侯擁立事件

 

曹操孟徳

 

 

 

 

 

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大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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