張陵は別名を張道陵とも呼ばれる三国志の少し前に活躍した五斗米道の宗教指導者です。
前漢の功臣、張良の子孫とも言われますが、確かな証拠はありません。今回は五斗米道の創始者、張陵について解説します。
この記事の目次
張陵は建武10年豫洲沛県に誕生
あくまで伝説によると張陵は建武10年(紀元34年)に豫洲沛県に誕生します。張陵は地理や讖緯、天文に詳しく、やがて洛陽の太学に入って学び、五経に通じ黄老の術にも詳しくなりました。
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雲錦山で黄帝に出会い仙薬を作る
西暦57年から75年頃、張陵は巴郡江州令となり隠居して北邙山で修練長生を修行。永元元年(98年)張陵は江西の鄱陽湖で遊び、雲錦山に登山すると、そこに仙人黄帝がいて九鼎丹法の術を伝えます。
これはどうやら寿命を延ばす仙薬の練丹術のようですが、張陵は3年後にこれを完成させ老虎大丹と名付けました。この雲錦山は、虎が寝そべった形に見えるので、やがて老虎山と呼ばれるようになります。
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鶴鳴山に入り五斗米道を開く
西暦122年から144年頃、張陵は鶴鳴山に入って仙人修行し道書21編を著して五斗米道を創設。老子五千言と太平清領書を経典に老子を敬い、以後は鶴鳴山を中心に二十四の治所を治め、各治所には祭酒と呼ばれる太平道の高位の弟子を置きました。
やがて治所は二十八カ所に増加し、張脩、そして張魯と続く五斗米道の基礎を築くと、張陵は123歳を迎えた永寿2年(156年)に青城山に赴いて昇天したとされます。
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アンビリバボな張陵の伝説
張陵の生涯は、ここまでの履歴でも分かるように嘘くさいのオンパレードです。
そもそも123歳まで生きて、山に登って仙人になったというのもにわかに信じられないですし、不老不死の仙薬を作ったり、仙人の黄帝に会ったりと伝説ばかりが並べられています。
ただ、これは張陵が言い出したのではなく、張陵死後に五斗米道が神格化されていく中で教祖である張陵が讃えられ神格化されていっただけでしょう。
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