「徐庶」といえば、まだ十分な力をつけていなかった劉備を知恵で助け、諸葛亮を紹介した人物として知られますね。
そんな徐庶ですが、のちに劉備の元を離れ、魏に仕えることになったのです。その徐庶を魏に仕えさせるきっかけに用いたのが「贋書の計」です。今回の記事では「贋書の計」について紹介していきます。
この記事の目次
贋書の計はフィクションだった!
そんな「贋書の計」ですが、実は史書「三国志」には記載されておらず、実は小説「三国志演義」の創作なのです。徐庶が劉備の元を離れ、魏に仕えたのは史実ですが、小説ではその経緯にフィクションを加えているのです。
ここからは「三国志演義」をもとに「贋書の計」を紹介していきましょう。
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徐庶、曹操軍を苦しめる
各地を転々としていた劉備は荊州の「劉表」の元に身をよせていました。劉備は「新野」に駐屯していたのですが、そこに荊州攻略を狙う曹操が大軍を派遣します。しかし、徐庶は派遣された曹仁軍の先鋒を策により撃退。
続いて攻め寄せた曹仁の軍は「八門金鎖」という鉄壁の陣を敷いていましたが、徐庶はこの陣を崩すことに成功します。そして続く曹仁の夜襲も、火攻めによって撃退し、曹操軍は散々に敗れてしまったのです。
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曹操、徐庶に興味を持つ
自軍の惨敗にショックを受けた曹操でしたが、自軍を破った「徐庶」という人物に大いに興味を持ち、人物を探ろうとします。そうすると偶然にも徐庶の事を知る人物がいました。それが「程昱」で、彼は徐庶と同郷の人物で彼の事をよく知っていたのです。
程昱によると徐庶は若いころ剣の腕に長け、人のためにかたき討ちの手助けをし、人を殺してしまいます。徐庶は役人の目を逃れるため、変人のふりをして逃走しますが捕まってしまいます。そこでは友人の助けによりなんとか逃走できましたが、徐庶は心を改め、学問に励むようになったのです。そして程昱によると徐庶は「母親思い」で有名だ、というのです。
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母親の説得を試みるも・・・
そこで曹操は徐庶の母親を呼び寄せ、曹操に仕えるように手紙を書くように説得します。しかし、母親は劉備に心酔しておりそれを拒否。そこで程昱は一計を案じます。
程昱は徐庶の母親に邸宅を用意し、贈り物をするなど何かと世話を焼き、まるで自分の親のように接したのです。さすがに徐庶の母親もそれに感謝したのか、程昱に度々お礼状を書いていました。
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