贋書の計とは?肉親への愛を利用した非情な計?徐庶を曹操軍に引き寄せた計略

2022年9月2日


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徐庶

 

徐庶(じょしょ)」といえば、まだ十分な力をつけていなかった劉備(りゅうび)を知恵で助け、諸葛亮(しょかつりょう)を紹介した人物として知られますね。

 

曹操にヘッドハンティングされる徐庶

 

そんな徐庶ですが、のちに劉備の元を離れ、魏に仕えることになったのです。その徐庶を魏に仕えさせるきっかけに用いたのが「贋書(がんしょ)(けい)」です。今回の記事では「贋書の計」について紹介していきます。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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贋書の計はフィクションだった!

三国志演義_書類

 

そんな「贋書の計」ですが、実は史書「三国志(さんごくし)」には記載されておらず、実は小説「三国志演義(さんごくしえんぎ)」の創作なのです。徐庶が劉備の元を離れ、魏に仕えたのは史実ですが、小説ではその経緯にフィクションを加えているのです。

 

ここからは「三国志演義」をもとに「贋書の計」を紹介していきましょう。

 

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徐庶、曹操軍を苦しめる

曹操から逃げ続ける劉備

 

各地を転々としていた劉備は荊州(けいしゅう)の「劉表(りゅうひょう)」の元に身をよせていました。劉備は「新野」に駐屯していたのですが、そこに荊州攻略を狙う曹操(そうそう)が大軍を派遣します。しかし、徐庶は派遣された曹仁(そうじん)軍の先鋒を策により撃退。

 

劉備軍で指揮を執る徐庶

 

続いて攻め寄せた曹仁の軍は「八門金鎖(はちもんきんさ)」という鉄壁の陣を敷いていましたが、徐庶はこの陣を崩すことに成功します。そして続く曹仁の夜襲も、火攻めによって撃退し、曹操軍は散々に敗れてしまったのです。

 

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曹操、徐庶に興味を持つ

程昱(ていいく)

 

自軍の惨敗にショックを受けた曹操でしたが、自軍を破った「徐庶」という人物に大いに興味を持ち、人物を探ろうとします。そうすると偶然にも徐庶の事を知る人物がいました。それが「程昱(ていいく)」で、彼は徐庶と同郷の人物で彼の事をよく知っていたのです。

 

剣を持って戦う徐庶

 

程昱によると徐庶は若いころ剣の腕に長け、人のためにかたき討ちの手助けをし、人を殺してしまいます。徐庶は役人の目を逃れるため、変人のふりをして逃走しますが捕まってしまいます。そこでは友人の助けによりなんとか逃走できましたが、徐庶は心を改め、学問に励むようになったのです。そして程昱によると徐庶は「母親思い」で有名だ、というのです。

 

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母親の説得を試みるも・・・

劉備の元から離れたくない徐庶

 

そこで曹操は徐庶の母親を呼び寄せ、曹操に仕えるように手紙を書くように説得します。しかし、母親は劉備に心酔しておりそれを拒否。そこで程昱は一計を案じます。

 

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

程昱は徐庶の母親に邸宅を用意し、贈り物をするなど何かと世話を焼き、まるで自分の親のように接したのです。さすがに徐庶の母親もそれに感謝したのか、程昱に度々お礼状を書いていました。

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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