曹操の妻、というとたくさんの女性がいますが、その中でも有名なのが卞夫人と丁夫人でしょう。元々は龍夫人と言う正室がいて、その女性が亡くなったために正室になったのが丁夫人。
その丁夫人が紆余曲折後に曹操と離縁して、繰り上げで正室となり、後に皇后になったのが卞夫人。あまり女性を比較するのは良くはないとは思いますが、今回はこの二人についてお話したいと思います。
この記事の目次
劉夫人の子、曹昂を我が子として養育した丁夫人
さてまずは丁夫人、彼女は丁一族の女性です。元々は劉夫人が亡くなった後、彼女が曹操の正室となっていました。
記録を見る限りでは彼女には子供がいなかったのか、曹操の嫡男、曹昂を引き取って育てたのは彼女とされています。(同母妹の清河長公主については記録がみられないので今回はひとまず置いておいて)
夫と別の女性との子供、そんな曹昂を丁夫人がどう思っていたのかは、後の悲劇で良く分かります。
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後に曹操に、張繍が降伏します。しかしこの時、曹操は張繍の叔父、張済の未亡人と密通。これに激怒した張繍は曹操に奇襲をかけ、曹操は大慌てで逃亡します。
そしてこの時、曹操を無事に逃がすために、曹昂は自らの馬を渡しました。
曹操は無事に逃げ延びましたが、曹昂、そして曹安民、典韋らは死亡。曹操にとってある意味、一番大打撃を受けた戦いと言えるでしょう。
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曹昂を失い曹操への憎しみから離婚する丁夫人
そしてこのことに最も激怒したのが、丁夫人です。丁夫人は曹昂を我が子のように可愛がっていたのでしょう。その曹昂が討ち死、まだ若くして。しかも原因は夫の女癖が悪かったせいで!
丁夫人はこのことを事あるごとに嘆き、曹操に「私の息子を殺しておいて、どうして平気な顔をしていられるの!」と罵りました。このため曹操と丁夫人は離縁することが決まりました。
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何度も丁夫人とよりを戻そうとする曹操
それでも曹操はまだ丁夫人に未練があったらしく、何度も謝罪し、離縁しても彼女の元に会いに行きました。しかし曹操が何を言っても丁夫人は振り返ろうとしません。彼女の怒りが決して治まることが無いと理解した曹操は、そのまま丁夫人の元を立ち去ったと言います。
こうして丁夫人が離縁されたために、正室となったのが卞夫人です。
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