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袁家三兄弟の次男袁煕が地味な理由は後継者から除外されていたから?

2022年9月26日


 

はじめての三国志_ページネーション

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袁煕が地味な理由

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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全てを覚悟した上で弟への一言

公孫恭に討たれる袁尚

 

最終的に兄弟が逃げ延びた先は公孫康(こうそんこう)、しかし公孫康は二人を欺き、曹操に首を差し出そうと考えていました。袁煕はこの考えを見抜いていたようですが、袁尚は「だったら公孫康を倒してアイツの軍を奪っちゃいましょう!」と説得し、見事二人は捕まって処刑されることに。

 

処刑される直前、寒いから(むしろ)が欲しいという弟、袁尚に袁煕は「首が今から万里の旅に出る、筵は今更必要ないだろう」覚悟を決めていた兄は、弟をそう諭したと言われています。

 

公孫康

 

まあこれ後漢書(ごかんじょ)では公孫康が言ったらしいんですけどね!

 

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曹叡の父親かも知れない袁煕

曹叡

 

さて袁煕、出自もそうですがやたら記録がない。どうしてここまで袁煕は目立たなかったのか、というとそもそも袁煕については触れてはいけなかったのではないか、と思いました。

 

ご存知かと思いますが、袁煕の元夫人である甄夫人は曹丕の妻になり、後の皇帝曹叡(そうえい)を産みました。この曹叡の生年と没年の記録がどうにもおかしく、曹叡は袁煕の子だった……という、(そうぎ)の一大トップシークレットである説がございます。

 

裴松之(歴史作家)

 

ただ裴松之(はいしょうし)先生などは「そもそも曹叡の享年が間違ってる」という説もあり、どうにもはっきりとしないことです。

 

個人的にはあの曹丕が自分の子かちょっとでも疑っている曹叡を後継者にしちゃうか?とも思うのですが……何にせよ、袁煕の話は魏では触れてはならない話だったのではないでしょうか。

 

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袁紹が袁煕を遠ざけた理由

袁紹

 

またもう一つ考えられるのは、袁煕が父親である袁紹から冷遇されていたから記録が殆どない可能性。袁家と言えば名族、しかし袁煕は母親の身分が低い、母親の名も知れぬ異分子。認知はするけど、名族として余計な働きはしないようにな!という扱いだった可能性……。

 

と、思いましたがそもそも実は「袁紹自体が母親の身分が低くて後継になれなかった可能性のある人物」であると、これも無理があるでしょうか?

 

もしかしたら母親の身分が低くても必死に頑張ってきた袁紹からすると、同じような立場なのにどうにもそういう気性ではなく、兄弟を押しのけてまで前に出てこない袁煕は物足りない存在だったのかもしれません。

 

美化された袁紹に羨む袁術

 

更にもしかすると、自分が苦労したからこそ、敢えて袁煕は遠ざけて正室やその子たちから疎まれないようにしたのかも……なんて。色々考えてみた筆者でした。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

何だかんだ三男の袁尚もそうなのですが、袁煕もまた記録が少ないのですよね。今回は記録が少なかった理由はどこにあったのか、それをちょっと邪推してみました。あまりスポットライトが当たらない袁家三兄弟、その中でも特にスポットライトが当たらない気がする……奥さん関連以外で……な袁煕。

 

ちょっと色々想像が膨らんで面白い人物ですね。

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

どぼーん。

 

参考文献:魏書袁紹伝 後漢書袁紹伝

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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