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諸葛瑾の息子たちは個性豊かだが長所も欠点もあり過ぎた?

2022年11月30日


 

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諸葛瑾

 

呉の大将軍、諸葛瑾(しょかつきん)。言わずと知れた蜀の丞相・諸葛亮(しょかつりょう)の兄であり、自身は呉に仕えた人物であり、孫権(そんけん)に絶大な信頼を寄せられた家臣の一人であり、そして自身もまた孫権に絶大な忠誠を捧げた人物です。

 

諸葛恪

 

そんな諸葛瑾の息子と言うと色々な意味で諸葛恪(しょかつかく)が有名ですが、実は諸葛瑾の息子たちは他にもいます。今日は彼らについて、ちょっとお話をしましょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛瑾ちゃんが呉にやってくる

諸葛瑾

 

さて諸葛瑾について軽くおさらいを。諸葛瑾は呉の重鎮となりましたが、当初から呉に住んでいた訳ではなく、若い頃は洛陽で勉学に励んでいました。

 

君主論 董卓

 

 

しかし洛陽はあの董卓(とうたく)が暴虐の限りを尽くして大混乱、諸葛瑾は揚州(ようしゅう)に逃れます。そこで出会ったのが孫権の姉婿、彼によって諸葛瑾は孫権の元に推挙されることになります。

 

 

諸葛瑾に無茶振りを言う孫権

 

 

当時は孫策(そんさく)を失って孫家は大変な状態で、優秀な人材は引く手数多だったのですね。

 

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孫権とは水魚の交わり

諸葛瑾を頼る孫権

 

 

諸葛瑾は孫権の必要としていた優秀な人材にぴったり条件フィット状態でしたが、何よりもフィットしたのは孫権との性格的相性の良さでした。孫権は気難しい所もあり、部下たちも対応が大変な時もありましたが、諸葛瑾はそんな孫権を上手に戒めたり諭したりできる人物だったのです。

 

水魚の交わりと説明する劉備

 

因みに「あの」虞翻(ぐほん)から感謝されているという異色の経歴持ちです。水魚の交わりと言えば蜀の劉備(りゅうび)と諸葛亮ですが、呉の水魚の交わりと言えば孫権と諸葛瑾も負けないほどの仲だったのでしょう。

 

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諸葛瑾の3人の子ども達

諸葛瑾

 

そんな諸葛瑾には息子が三人、娘が一人いたと言われています。娘は名前は残っていませんが、諸葛瑾と仲が良かった張承(ちょうしょう)の後添いとなりました。

 

そして今回のメインは残る三人の息子たちです。この中では特に長男である諸葛恪が有名ですが、次男の諸葛喬(しょかつきょう)、三男の諸葛融(しょかつゆう) ()についても今回は少しお話したいと思います。それぞれ色々な意味でキャラクターが立っている息子たちなので、どうぞよろしく!

 

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才能はあったが人を小馬鹿にした諸葛恪

諸葛恪まで論破する費禕

 

最も有名なのが諸葛恪。子供の頃から頭が良く、孫権からも寵愛された嫡男。

 

しかし父親の諸葛瑾は「息子は出来が良すぎる」と将来を憂い、叔父の諸葛亮は「大雑把でいい加減」と評価し、陸遜(りくそん)は「人を人と思わない態度をどうにかしろ」と苦言を呈したように、どうにも才気ばしって傲慢不遜であったようで、それが後の墜落に繋がります。

 

諸葛恪と孫峻

 

最終的には大敗し人心を失い、孫峻(そんしゅん)らのクーデターにより呉の諸葛一族は皆殺しとなりました。

 

 

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性格がよかったが早死にした諸葛喬

諸葛喬

 

諸葛瑾の次男が諸葛喬であり、子供がいなかった諸葛亮の養子になっています。才覚こそ兄の諸葛恪には及ばなかったようですが、その性格は正に父親そのもの、いや、父親以上と言われて将来を期待させた人物です。

 

病死する諸葛喬

 

……しかし諸葛喬、なんと25歳という若さで病死。もしも存命だったならば、斜陽の蜀の命運がどれほど変わっていたか……惜しむばかりです。

 

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遊びの達人だがそれだけだった諸葛融

諸葛融

 

そして三男が諸葛融。長男が才覚父譲り、次男が人格父譲りとなると三番目はどうなると思いますか?なんと「楽しく遊ぶことが大好き!」というある種の変わり種です。

 

遊ぶことが大好きな諸葛融は兵士たちからは(少なくとも長男よりは確実に)懐かれていたようですが、父や兄とは違って衣服を豪華にするなど、一家の中では異彩を放っていた存在だったようです。そして長男とは非常に仲が悪く、にも関わらず孫峻のクーデターに巻き込まれて、こちらも一族皆殺しとなりましたとさ……。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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