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馬良はどうして馬謖より人気がないのか?白眉の語源となった男の真実

2023年11月19日


 

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馬良

 

 

弟の方が有名なお兄さんの一人、馬良ばりょうお兄さん。筆者の好みの傾向をいきなり晒してしまう次第ではありますが。三国志において、有名どころの弟に比べるとちょっとだけ(ちょっとだけ)地味なお兄さんたちが好きであります。

 

司馬朗と曹操

 

魏であれば、司馬朗しばろう。呉であれば、諸葛瑾しょかつきん。そして蜀であれば馬良ばりょう。しかしどうにも馬良ばりょう馬謖ばしょくより目立ち方が少ないのではないか?そう思いまして今回お話させて頂く次第でございますので、お付き合いどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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馬家(ばけ)らった!馬氏五常登場

馬良(眉白)

 

さて馬良ばりょう馬家ばけの子であり、この家は荊州北部の名門豪族であったとされています。劉備が荊州を手に入れてから取り込まれていった豪族の一人、と言った所でしょうか。この馬家ばけには五人の息子、馬家五兄がいたと言われているのですが、彼らは全員字に「常」の字を用いていました。このことから「馬氏の五常ばしのごじょう」と呼ばれていたと言います。

 

 

馬良は5人兄弟で一番優秀だった

馬良って何した人だっけ

 

彼ら五兄弟は全員が優秀でした。しかしその中でも最も優秀だった、抜きんでて優秀だったのが馬良ばりょうと言われています。そしてこの馬良ばりょうには他の兄弟にない特徴がありました。馬良ばりょうは眉に白い毛が混じっていたので、白眉はくびと呼ばれていたのです。このことから「馬氏の五常ばしのごじょう白眉はくび最も良し」と語られていました。そしてこの白眉はくびは故事となり、白眉はくびは「数があるものの中で最も良いもの」を表す言葉となったのです。

 

 

有名な馬氏の五常なのに名前が分るのは2人だけ

馬良と馬謖兄弟

 

ここで五兄弟に付いて……と言いたい所ですが、実はこの五兄弟、馬良ばりょう馬謖ばしょくしか名前が分かっていません。史料によってはいくらか名前が記載されている場合もありますが、どれもはっきりとは言えないのでここでは敢えて割愛をしたいと思います。また馬良ばりょうが四男、馬謖ばしょくが五男と言われていますが、これは「伯仲叔季」という、日本で言うと太郎や二郎といったように、名を当てはめた結果とされていて、馬良ばりょうが長男だった……という説もあり、こちらもはっきりしないものなのが現状です。

 

 

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馬謖

 

 

 

馬良と馬謖しか活躍してない馬氏五常

ポイント解説をするセン様

 

さてここで察知力の高い皆様ならば察したことと思いますが、馬氏の五常ばしのごじょう、三国志には殆ど出てきません。長男が四男のサポートをしてたよ!とか、次男は病死したらしいよ!とかは言われていますが、こちらもはっきりとはしないのです。ぶっちゃけて言いますが「馬氏の五常ばしのごじょう白眉はくび最も良し」とはいうものの、この五兄弟がどう優秀だったか、それは分からないのです。

 

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どうせ水鏡がオーバーなあだ名をつけたんだろう

龐統と孔明を手に入れた劉備

 

とは言え、こういったことは当時珍しくはないものであったと思われます。例えば優秀なところで水鏡先生こと司馬徽しばき諸葛亮しょかつりょうとホウ統を「伏龍ふくりゅう鳳雛ほうすう」という、未だ天下に羽ばたいていない傑物……として例えたことは有名ですが、当時はそもそも名士に名前を知ってもらうかどうかが大事な時代なので、こういった「カッコいい名前」でアピールをすることは珍しくありませんでした。なので馬氏の五常ばしのごじょうもまた、そういう経緯から馬氏の五常ばしのごじょうを名乗っていた……とも言えるのではないでしょうか。

 

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活躍してなくはない馬良

馬良と孔明

 

 

しかし馬良ばりょうが優秀であったことは、諸葛亮しょかつりょうとの手紙のやり取りの中で諸葛亮しょかつりょうを励ましていること、孫権そんけんへ使者とされた馬良ばりょうを(アピールする必要があったとはいえ)「この人は素晴らしい人です。一時的な華やかさには欠けるものの、最後までその美しさは欠けることはないでしょう」と褒めていたり、もしかしたら諸葛亮しょかつりょうとは義兄弟関係にあったりしたり、夷陵いりょうの戦いで異民族を懐柔したりと、しっかりと活躍はしているのです。が、どうにも山に登って泣いて斬られた弟の方がネームバリューが高い。これはどうしてか?

 

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夷陵の戦い

 

 

 

失敗した弟馬謖の方が目立っちゃった!

三国志演義_書類

 

この理由に、三国志演義さんごくしえんぎが多大な影響を与えているのではないか、と思います。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

 

 

正史ではおそらく荊州の豪族として劉備への支援もあった人物であったとも思われますが、三国志演義さんごくしえんぎではそういった面にはほぼ触れられず、そして使者としてあっちこっちに行っている上にその行き来が馬良ばりょうの責任ではないものの失敗に終わることが多い。

 

 

華陀の治療を受けながら碁をうつ関羽

 

 

 

もっと言うと最期は泣かれて斬られた弟に比べ、馬良ばりょうはいきなり病死が告げられて退場。下手をすると関羽かんうと碁を打ったところが最高の見せ場、という人物に終わってしまっています。

 

 

悪役の曹操、正義の味方の劉備

 

三国志演義さんごくしえんぎは大衆に広まり、受け入れられた三国志を広めるきっかけの物語……と思うと、この三国志演義さんごくしえんぎでの馬良ばりょうの扱いが、馬良ばりょうの知名度に影響してしまったのではないでしょうか。諸葛亮しょかつりょうとの手紙のやり取り、内容など、実はもっと注目されても良いのではないかと思う馬良ばりょう。どうぞ馬良ばりょうをよろしくお願いしたい次第でありました。

 

 

全訳三国志演義

 

 

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

馬良ばりょう伝を読んでみて、諸葛亮しょかつりょうを熱く励ます手紙の内容を見て。結構弁才に長けた人物であるのでは、と思いました。後年に異民族の懐柔をしている様子を見るに、そういった才知に優れていた人物であると想像しています。また馬良ばりょう夷陵いりょうの戦いで、36歳という若さで戦死しています。

 

法正が亡くなり悲しむ劉備

 

ホウ統が長生きしていたら、法正が長生きしていたら。その両名に並ぶ、もし馬良ばりょうがもう少し長く生きていたら。個人的に諸葛亮しょかつりょうの負担を軽減することができたのでは、そう思う人物の一人ですね。どぼーん。

 

参考:蜀書馬良ばりょう

 

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法正

 

 

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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