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三国志の裏側!麴義、趙雲の噛ませ犬から[脱却]なるか?

2024年7月21日


周瑜

 

 

漫画や映画、テレビに関わらず主人公が存在する作品では多かれ少なかれ()ませ犬役が存在しています。本来、噛ませ犬とは戦いの経験がない若い犬に、わざと弱い犬と戦わせ相手を噛ませる事で勝利の味を覚えさせる技術の事を意味しました。

 

しかし、次第に意味が変質し、漫画では主人公的なキャラクターに一見強そうに見えるように盛り上げた敵をぶつけて瞬殺(しゅんさつ)させ、主人公の強さを強調する手法を意味するようになってしまいます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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漫画史に残る華麗な噛ませ犬達

 

噛ませ犬として非常に有名なのは、ドラゴンボールのコルド大王でしょう。あの宇宙の帝王フリーザの父として地球に降臨(こうりん)、トランクスと対峙するも機械化してパワーアップした筈のフリーザはトランクスの剣でバラバラにコルド大王は、トランクスの剣こそが脅威(きょうい)だと勘違いして、剣を取り上げ急に強気になりますが、やはりトランクスに瞬殺されました。

 

歴史漫画キングダムに登場した劇辛(げきしん)なども噛ませ犬です。燕の劇辛の場合、龐煖(ほうけん)のような存在とは何度も遭遇し返り討ちにしたと豪語しながら遭遇した龐煖に為す術なく瞬殺されています。これらの噛ませ犬キャラに共通するのは、主人公的なキャラと戦うまでは規格外や桁違いの強さ、○○に匹敵すると期待を盛り上げるだけ盛り上げ一コマで瞬殺されてしまうギャップ効果です。ですが、多用すると読者の方も慣れてしまい、よほど巧妙にやらないと「あーやっぱりな、、」とギャグ要素で取られてしまうので当たれば効果は高いとはいえ、迂闊に使えない手法ではあります。

 

 

趙雲の噛ませ犬麴義

 

麴義は有能な将軍であり正史では韓馥(かんふく)の配下として登場し、後に袁紹(えんしょう)に乗り替え異民族の騎馬戦術を熟知した武将として、界橋(かいきょう)の戦いでは800の歩兵を率い、1000挺の強弩兵の支援を受けながら、白馬義従1万を撃破し敵将、厳綱(げんこう)を斬り、公孫瓚(こうそんさん)の本陣を蹂躙(じゅうりん)して、公孫瓚軍を敗走させました。

 

さらに、取って返して公孫瓚の弓騎兵に包囲された袁紹を救うという大戦果を挙げて大活躍しています。195年の鮑丘(ほうきゅう)の戦いでも公孫瓚を撃破し公孫瓚が本拠地(けい)を放棄して易京(えきけい)に籠城する切っ掛けも生み出しています。その後、軍令違反で袁紹に処刑されたとはいえ、実績においては、顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)を遥かに(しの)いでいる人物です。

 

ところが麴義の知名度は、三国志演義ではほぼ無名に近いモノです。いえ、界橋の戦いにおいて公孫瓚を破る所までは三国志演義も、麴義の事績を踏襲(とうしゅう)しているのですが、その後、無名の趙雲に見るも無残な負け方をした為に、功績をほぼ趙雲に奪われたのです。

 

 

麴義の見せ場が趙雲大活躍に改竄された界橋の戦い

趙雲大活躍に改竄された界橋の戦い

 

三国志演義において、界橋の戦いの功労者は麴義ではなく趙雲になっています。あらすじを簡単に説明しますと公孫瓚と袁紹は界橋で本格的に激突公孫瓚は白馬義従(はくばぎじゅう)五千を羽翼の陣にし先陣を厳綱に任せます。これ以前に趙雲は文醜の槍から公孫瓚を救った手柄で公孫瓚軍に在籍(ざいせき)していますが「どこの馬の骨か分からんので信用できん」という理由で前線には出されず後詰めを余儀なくされていました。一方で袁紹は800の弩兵を率いる麴義を中央に置き、一千の石弓部隊を顔良と文醜に率いさせ、白馬義従を十字砲火で攻撃するように命じます。さらに中軍として歩兵1万五千を麴義に従わせました。そして袁紹は数万の歩兵を率いて数キロ後方に控えています。

 

※ちなみに正史では、麴義の率いているのは歩兵800だけで中軍一万五千はなく

一千の石弓を率いる武将が顔良や文醜であるという記録はありません。

 

両軍はにらみ合ったまま動かず、(しび)れを切らした厳綱が白馬義従を率い突撃そこに麴義、顔良、文醜が集中的に矢を浴びせかけます。怯んだ厳綱は、馬首を巡らして退却しようとしますが麴義が薙刀(なぎなた)で厳綱を斬り伏せて倒しました。

 

左右の白馬義従は厳綱を救おうとしますが、顔良、文醜の石弓に阻まれて前進できず、じりじり橋の近くまで退却します。勢いに乗った麴義は公孫瓚の本陣に踏み込んで旗係の将校を斬り、牙門旗(がもんき)(本陣旗)を押し倒してしまいます。

 

公孫瓚

 

それを見た公孫瓚は敗北を悟り、また一騎だけで橋を降りて逃走(演義の公孫瓚はやたら逃げるシーンがあります)麴義は逃がすかとばかりに後方から追いすがります。この辺りまでは、概ね史実と同じですが、ここから三国志演義は大掛かりなフィクションを仕掛けます。後詰で出番のない趙雲が麴義の前に立ちはだかるのです。

 

 

麴義を斬り殺し袁紹を追い詰める界橋の趙雲

袁紹を追い詰める界橋の趙雲

 

さて、趙雲、公孫瓚を守るべく麴義の前に立ちはだかり、槍を(しご)くと馬を(おど)らせ僅か数合で麴義を突き殺してしまいます。これだけでも、なかなか美味しい役ですが演義の趙雲アゲはこんなもんじゃない。ここから趙雲、仲間の仇を討つとばかり単騎で馬を躍らせて、雲霞(うんか)のごとき袁紹軍に突撃するのです。それも強い強い、誰も趙雲にかすり傷一つつけられず、まさに無人の野を行くが如し、後の長坂(ちょうはん)一騎駆けの再現が界橋でも炸裂!それを見た公孫瓚、「それ趙子龍に続け!」と自軍を鼓舞し形成は逆転

 

袁紹

 

 

袁紹は、はるか後方で麴義が牙門旗を倒したという報告を聞いて、「公孫瓚弱いなぁ~」と(くつろ)いでいる所に突然に趙雲が出現したので仰天(ぎょうてん)味方も5~6名が次々に倒され、さらに公孫瓚の軍勢まで出現します。

 

田豊(でんぽう)は袁紹に築地(つきじ)の陰に隠れるように指示しますが、袁紹は「命を惜しんでまで生きていたくない」と啖呵(たんか)を切って奮戦、ここから顔良が戻ってきて、趙雲は不利になり公孫瓚を(かば)いながら逃げて界橋を下って逃げて行きます。怒り狂う袁紹は、再度、軍を編成して公孫瓚と趙雲を追いかけ再び、界橋を越えて公孫瓚軍を蹂躙し沢山の公孫瓚軍の兵が川に落ちて溺死(できし)したという形で三国志演義の界橋の戦いは終わります。

 

史実を読み込み巧妙にフィクションを混ぜた三国志演義

公孫瓚と趙雲

 

この界橋の戦いに趙雲が参加したというような記録はありません。ですので、麴義が趙雲に突き殺されたという事実もなくもちろん、公孫瓚が趙雲の活躍に勇気を得て再び逆襲した事もないです。しかし、追い散らされた公孫瓚の騎兵の一部が後方で少人数で待機していた袁紹に襲いかかったという記録は残っています。

 

この時に襲いかかった騎兵は二千、袁紹の供回りは百余りでしたが、袁紹は隠れるように進言する田豊を拒否して奮戦して弓で対抗しそこに麴義が戻ってきた事で窮地を脱しています。

 

三国志演義の原作者達は、私達が考える以上に正史三国志を読みこみ袁紹を襲撃した公孫瓚の騎兵を趙雲に読み替えて活躍の場を作ったのです。しかし、趙雲爆アゲの結果、麴義は趙雲と、顔良、文醜に手柄を奪われ、趙雲に斬られただけの噛ませ犬になってしまったのでした。

 

趙雲の噛ませ犬?正史における麴義のアンビリバボーな大活躍は↓読めます。

麴義はどんな人?アンビリバボー八百の兵で白馬義従1万を破った英傑

 

 

三国志演義より扱いがムゴい蒼天航路の麴義

蒼天航路の麴義

 

 

蒼天航路にも麴義は出てきますが、ここでも趙雲の引き立て役です。しかも、三国志演義よりも扱いがムゴいモブキャラ扱い初登場は、コミックス7巻、其八十三、静かなる猛将という趙雲初登場の回、麴義は17pと18pに猿顔をした武将として登場しますが

 

「おおッ 公孫瓚の軍にも少しはいきのいいのがい ・・たかッ」

 

というセリフを残して趙雲に馬ごと真っ二つにされて絶命します。舞台は、どうやら界橋の戦いの初日のようですが、可哀想な事に麴義がどういう人物か説明するシーンは一切なく一片のセリフと猿顔の武将というアイコンだけが全てです。

 

それなのに袁紹サイドは、どよめき、「麴義が、、あの麴義が一刀の下に切り捨てられた」と大変な動揺ぶりで逆に公孫瓚はイケイケになります。いやいやいや!そんなにどよめくような重要人物ならもう少し伏線入れて麴義を説明しようよ。界橋の戦いの手柄も何も無しに、ただ趙雲に斬られる為に出現なんてあまりにも麴義が可哀想すぎやしませんかァ(泣)

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

三国志ライターkawausoの独り言

 

蒼天航路と言えば、麴義ばかりではなく、正史では曹操も孫堅(そんけん)も一度撃破した徐栄(じょえい)呂布(りょふ)董卓(とうたく)赤兎馬(せきとば)に乗ろうとしたのを制止しようとして頭を握りつぶされる無残な最期を遂げました。華雄(かゆう)も、三国志演義とは別の最期で、関羽(かんう)に斬られるのではなく、理由あって孫堅軍に参加した夏侯惇(かこうとん)に一撃で斬り殺されています。まあ、徐栄は曹操軍をかなり苦しめる描写があった後での頭グシャですがそんなの徐栄にさせなくてもモブキャラで良かったんでない?

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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