関平ファンの皆様、お待たせしました!今回は、史実では若くして亡くなってしまった関平が長生きし、「関羽には息子がいた!その名は関平、すなわち、関羽二世!」とばかりに、その後の蜀漢で活躍するイフ世界を考えてみましょう!
「え?関平?そういえば関羽の子供にそんなキャラクターがいたが、よく覚えていないなぁ」と、よしんば記憶が曖昧な方も、ご安心ください。まずは「関平ってどんな武将だったっけ?」という背景の整理からきちんと始めたいと思います。
この記事の目次
史実の関平は謎・空白の多い人物
三国志の物語の中でも悲劇性の高い、樊城の戦いの時。劉備から荊州を任されていた関羽は、曹操軍に打撃を与え、一時は遷都の検討をさせるところまで危機感を与えていました。
しかし背後から呉の奇襲を受け、関羽は捕らえられ、子の関平とともに処刑されてしまいました。父と子が同じタイミングで敗死してしまったという悲劇です。ただし、この関平という名前、陳寿の『正史三国志』に登場するのは、まさに、この情報だけなのです。つまり、「関羽および子の平は臨沮というところでとらえられた」という一か所だけ!
生年も、戦歴も、性格も、逸話も、具体的な言及はありません。わかっているのは、関羽には「平」という息子がいて、父と最期を共にしたということ。ですが、史実上で空白が多い謎の人物というものは、往々にして三国志の伝統の中では、華を添える脚色が長年かけて施されるものです。
関平もまたしかり。皆さんも、小説や漫画やゲームなどで、いろいろと架空の設定を肉付けされた「関平」が登場したシーンを覚えているのではないでしょうか?今回のこの記事でも、その伝統に従い、「史実の記録では謎が多い」ことをいいことに(!)、空想を思いきり広げてみましょう!
すなわち、もしこのとき、関平だけが脱出に成功し、益州の劉備のところへ脱出していたら?かの関羽の息子となれば、体躯にも恵まれ、知略にも優れた名将に成長したのではないでしょうか?
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「父みたいになるな!」関羽のしくじりからよく学んだ関平
ただし、生き延びた関平が、父を超える名将に成長するために最初にやることは、「父の欠点を分析し、そこから学ぶ」という、息子であればこそできる冷静な分析です。
関羽は、間違いなく当代最強クラスの武将でした。しかし、少なくとも荊州の防衛では大失敗をしました。
その内実をよく見ると、せっかくの呉からの縁談を「虎の子を犬の子にはやれぬ」と一蹴したり、糜芳や傅士仁といった部下を軽んじて恨みを買ったり、自身が優れた能力を持っていたために、同盟相手や部下をどこかで上から目線で叱責するような、時には不必要に挑発するようなところがありました。関平は、その一部始終を父の傍らで見てきました。
「父上はもっと冷静な合理主義者であるべきだった!」息子ゆえに、そんな父への不安も大きかったでしょう。
そして生き残った関平が、父を失った悲しみの中から、この認識に到達したとき、関平の頭の中には電撃が走り、自分がなるべきリーダー像が心に浮かんだことでしょう!
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覚醒した関平、夷陵の戦い勃発を防ぐ
さて、いまいちど、この頃の史実の展開を思い出してみましょう。関羽を失った劉備は、その弔い合戦として、呉に戦争を挑みます。いわゆる、「夷陵の戦い」の勃発です。
しかしこの戦いで、劉備は多くの重臣を失い、兵力も大きく損ない、自身の死期を早めてしまいました。そのうえ、魏呉蜀の三国が激しくにらみ合う中で、魏だけでなく呉をも敵に回してしまうという最悪の展開をもたらし、その後の諸葛亮の苦闘の原因ともなりました。
しかし、そこに関平がいたとしたら、どうでしょう。仇を討たれるべき当の遺児が、父の失敗を分析して学んだ結果、「ここは冷静に、合理的になるべきです。弔い合戦よりも、父が壊した呉との同盟の修復を優先しましょう」と劉備に説いたら?かの劉備も、義兄弟関羽の子が必死に説得してきたら、心を動かされ、開戦を思いとどまるのではないでしょうか?
そして、呉にとってもまさかの展開!関羽の子の関平が自ら主導して、和睦の交渉にあたってきたら?呉も蜀の懐の深さに衝撃を受け、呉と蜀の関係回復は、急速に進んだのではないでしょうか?
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関平、呉の陸遜とともに司馬懿と対決!
このイフ展開が進むと、関平の活躍の場が着々と準備されます。史実よりも早いタイミングで、魏との対決の陣容が整った蜀。いわゆる「北伐」が史実よりも早く始まります。しかも史実の「諸葛亮の北伐」とは違い、このシナリオでは劉備が存命、呉も協力的という理想的な形です。魏のほうが対抗馬として出してくるのは、とうぜん、司馬懿でしょう。
ですが、このシナリオでは、司馬懿と対決するのは諸葛亮一人ではありません。関平と、そして呉からの援軍を率いる陸遜が、諸葛亮に協力します。関羽の息子が、父の仇の一人であるはずの陸遜と、私怨を抑えての共闘!この熱い展開は蜀と呉の士気をおおいに高めることでしょう!
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まとめ: 北伐で活躍した関平、父と並んで祀られる?
夷陵の戦いを停戦させ、劉備と蜀のピンチを救い、はては北伐で陸遜と共同戦線で司馬懿と決戦!
このようなイフ展開をした世界では、関平にはもうひとつ、大きな未来が待っています。史実でも、三国時代のあと、関羽は民間信仰の対象となり、現代でも「関羽廟」というものが各地に存在します。そしてよく見ると、関羽廟では、関羽像の脇に関平像が置かれていることが多いのです。
しかし今回のイフ世界では、関羽廟には、関羽像の脇役ではなく、関羽と並んで、関平像が父とセットで主役を張っているかもしれません!関羽という一人が崇拝対象なのではなく、「関羽と関平がセットで、理想の親子として信仰される」世界!
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三国志ライターYASHIROの独り言
・・・というのは、いくらなんでも「史実では謎が多い」関平に対する空想が過ぎると言われるかもしれませんが、蜀漢ファンには胸のすくイフ展開になったのではないかと思います。いかがでしょうか?
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