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[古典の落とし穴]三国志平話、忘れ去られる運命の背後

2024年3月20日


桃園三兄弟の劉備と張飛と関羽

 

三国志平話は、中国四大奇書(よんだいきしょ)の一つの「三国志演義(さんごくしえんぎ)」よりも前に刊行された三国志物語本です。そこに記されているエピソードは三国志演義にもたくさん採用されており、三国志演義の元ネタになっていることは明らかですが、三国志演義が大いに流行してずっと読み継がれてきたのに対し、三国志平話のほうはすっかりすたれてしまいました。

 

献帝(はてな)

 

三国志平話は三国志演義よりも登場人物が生き生きとしており、たいへん魅力的な本なのですが、どうしてすたれてしまったのでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志平話の魅力とすたれっぷり

周瑜を取られて嫉妬する小喬

小喬

 

三国志平話には、三国志演義より優れている点があります。それは登場人物が一人一人魅力的であることです。例えば、三国志演義では女性の登場人物が感情をあらわにするシーンはあまりありませんが、三国志平話では諸葛亮(しょかつりょう)周瑜(しゅうゆ)を戦いに駆り立てようとするのを見て周瑜の妻の小喬(しょうきょう)が怒るシーンや、孫権(そんけん)の妹が兄にとっての邪魔者である劉備(りゅうび)を暗殺しようとしながら劉備の魅力にぽーっとなって暗殺を思いとどまるシーンがあり、登場人物に感情移入できるようになっています。

 

三国志演義では忠臣で天才で隙がないため可愛げに欠ける諸葛亮も、三国志平話では戸惑ったり口ごもったりするシーンがあり、人間らしく面白みがあります。このように、一面では三国志演義をしのぐ面白さのある三国志平話ですが、本場中国では三国志演義に淘汰され絶滅してしまい、現存している版本は日本に渡ってきたものです。(本場では無価値だと思われても日本では舶来ものだから大事にされたのでしょう)

 

 

 

すたれた理由1: 時代考証がめちゃくちゃ

関羽

 

三国志平話がすたれた大きな原因として考えられるのは、時代考証がめちゃくちゃすぎることです

 

年号もめちゃくちゃ、出来事もめちゃくちゃ。ざっくりとしたところではいちおう三国志の流れに沿っていますが、史実に忠実であることは重視されておらず、三国志の人物や時代を利用して面白いお話ができればそれでよいというような書かれ方をされています。地名や人名には当て字が多く、地理的な知識もめちゃくちゃです。群雄がいちいち「」を名乗っていたり、劉備が水滸伝の宋江(そうこう)のようなアウトロー集団の親玉で朝廷に懐柔されたりと、世界観は三国時代ではなく宋の時代のようになっています。

 

そこらへんを、歴史書を参照しながら三国時代に寄せて書いた三国志演義と比べてしまうと、三国志平話は子供の落書きのように見えてしまって、人々から顧みられなくなるのももっともかなという感じがいたします。

 

 

すたれた理由2: ストーリー性に欠ける

閻魔大王

 

三国志平話は、漢の建国の功臣でありながら建国後に殺された彭越(ほうえつ)韓信(かんしん)英布(えいふ)が劉備・曹操(そうそう)・孫権に生まれ変わって人生をやり直す(?)ところから始まり、漢王朝の後裔を名乗る劉淵(りゅうえん)が漢を再興する(?)というハッピーエンド(?)のストーリーです。

 

いちおう、無理くりストーリーはありますが、人間ドラマとか歴史ドラマとかいう感じではなく、形式だけでつじつまをあわせた感じで、読後感が「???……キョトン」となります。一方、三国志演義は、劉備・関羽(かんう)張飛(ちょうひ)が世の中をよくしたいという情熱だけで裸一貫で挙兵して、成功と挫折を繰り返しながら勢力を増し、ライバルと戦いながら天下の三分の一を手に入れ、最後には自分たちもライバルもみな滅んでしまうという、盛り上げて泣かせて締めるストーリーです。ドラマ的な盛り上がり方は申し分なく、この点でも三国志平話は勝ち目がありません。

 

 

 

すたれた理由3: 思想がない

呂布

呂布

 

三国志平話には思想がありません。三国志の舞台で、三国志の人物がダイナミックにわちゃわちゃ動いているのを楽しむだけの作品です。ひたすら日常ドタバタコメディに終始して唐突に終わるギャク漫画のような印象で、読んでいる間は楽しいのですが、終わったあとに「なんの話を読んでいたんだか? はにゃ?」となってしまいます。

 

一方、三国志演義は「演義(義を演ずる)」というだけあり、儒教思想で一本筋が通っています。関羽の義、諸葛亮の忠、劉備の仁。こういう儒教っぽいところを見せつけられるので、儒教=インテリというイメージのあった前近代の人たちは読んだあとに「読んだー!」という充実感を覚えることができたはずです。曹操、逆賊、悪い奴、という価値観を身体に刻み込めば、自分も儒教的な意味での正義の味方になりきることができます。読んでもなんにも残らない三国志平話よりウケたのは当然です。

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

ライトノベルの書き方が紹介されているウェブサイトを参照すると、キャラが動いているだけじゃなくてカタルシスやテーマがないといけないというようなことが言われているのですが、三国志平話には断片的なカタルシスしかなく、テーマは皆無です。キャラクターが魅力的でも、それだけではやはり生き残れなかったのでしょう。

 

しかし、三国志演義を見慣れた目から見ると、三国志平話の自由な書きっぷりにはとても魅力を感じます。思想的に自由なので、どの登場人物のことも悪く書く必要がないところが素敵です。三国志演義で忠臣の諸葛亮をすごい人にみせるために魯粛(ろしゅく)が道化のようになってしまっていたり義の人・関羽を神々しくするために呂蒙(りょもう)が呪い殺されたりするのを見ると、とても残念な気がするのです。なんの縛りもなく、読者の興味のおもむくままに魅力的な登場人物を描いた三国志平話。ご興味のある方は、ぜひお読みになってみて下さい!

 

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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