三国志は遥か古代の話、中にはその血筋が絶えて久しい者たちもいれば、現代にまで脈々と受け継がれてきている、英雄の子孫たち、も存在します。今回はその中から、話題を呼んだこともある曹操の子孫に付いて、お話したいと思います。
曹操の子孫の現在の姿や、歴史的な出来事を通じて見えてくる家族の絆……そして曹操の血の持つ影響力について解説していきましょう。
この記事の目次
曹操はどんな人物だったかおさらい!曹操の先祖も合わせて紹介
さて曹操と言えば三国志の英雄の一人にして魏の大国を築いた人物。戦に、政治に、文学にと多才でありながら、決して失敗などなかった……ということもないのもまた人として魅力。
三国志演義ではかなり悪役としての一面が強調されていますが、この三国志演義の悪役化も、後の話と関連付けると中々面白いとこがあります。
そんな曹操の先祖は高祖・劉邦に仕えた曹参であると三国志には記されてはいるものの、曹操の祖父が宦官となって曹操の父親を養子にしていることから、これは信ぴょう性が疑われるとされています。
であるとすればその曹操の父親である曹嵩の父親は夏侯氏であるとされ、これに注目すると同じく劉邦に仕えた夏侯嬰の子孫ということになりますが、こちらもこちらで武帝記によると「良く分からない」とされており、どうにもはっきりとできないのが現状です。ただ「曹操の先祖」というと劉邦に近しい人物が並ぶというのは、何だか興味深いですね。
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曹操の寿命はいくつ?その跡継ぎは誰になった?
いかに万能のような曹操といえど、寿命と言う敵はどうにもなりません。曹操は建安二十五年の正月に病死したとされています。享年は66歳。分かりやすくすると220年に亡くなりました。正月とされていますが、現代で言うと三月頃に当たるそうです。
そしてその曹操亡き後、後継者、つまりその跡継ぎとなったのが曹丕。この曹丕こそ、魏の初代皇帝となった人物ですね。
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曹操と曹丕の関係、曹操の子供たち
さてこの曹丕と曹操の関係、ぶっちゃけますととても簡単、親子です。曹丕は曹操と武宣皇后、卞氏との間の子になります。卞氏の子ということだけで話すと、長男扱いになりますが、実際には曹操の三男で、元々卞氏は妾だったので庶子でした。嘗て曹操には劉夫人という妻がおり、この間に曹昂、曹鑠という子がいたのですが、二人とも早世。
この曹昂の死の際に怒った正室、丁夫人と曹操が離縁したことで卞氏が正室となり曹丕に後継者の座が回ってくることになります。因みに曹操は男の子だけでも20人以上子がいたとされていますが、多くが早世しています。この辺りは時代のためもあったのかもしれません。ただ、それでも沢山の子を残せたのは、曹操が基盤となる土地を早く手に入れたため、と言われています。
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三国志の英雄曹操はその後どうなった?その子孫はどれくらいいる?
さて気になるのが曹操のその後、その子孫たちですね。現代、2009年に曹操の陵墓が発見されました。この真偽を確かめるために、中国の復旦大学で埋葬されていた人物のDNAと全国の曹姓の男性のDNAを照合し、この際に中国全国の「曹」姓の家系258系統を調査することになりました。
その中でも曹操の子孫の可能性がある8族についてさらに系統DNA検査を実施し、結果、6系統を「曹操の子孫」とすることになります。現在では曹操から数えて70代目の直系子孫にあたると伝えられている曹祖義氏が遼寧省東港市に住んでおり、この人物が最も曹操の直系に近いとされたようです。面白いのが曹操の名乗る人物が増えており、司馬氏の迫害から逃れるために改名したなどという話もあり、曹操の子孫は今もなお、増えている……と、言えるかもしれません。
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曹操の子孫と遺伝子、染色体について
ここで少し、拙いながら遺伝子について説明したいと思います。「曹操の子孫、曹操の遺伝子っていうけどそれって本当なの~?」と思いますよね?ここで漢民族の継承の特徴が関係してきます。漢民族では姓は男系で継承されるのです。つまり、曹姓の男性なら曹操の子孫であり、曹操の遺伝子を持っている……というと飛躍したように聞こえますが、ここでY染色体が出てきます。これが曹操の遺伝子を解明するために深く関わってくるのです。
染色体ってなに?Y染色体と曹操の遺伝子の関係
染色体の説明に移りましょう。染色体とは、細胞の中で遺伝子が記録されている部分です。因みによく言われるDNAですが、簡単に言うとこの染色体を構成するパーツのようなものです。この内、Y染色体という染色体が重要になってきます。
Y染色体は男性のみにある染色体で、男の子は必ずこの染色体を父親から受け継ぐため、曹性の家系の男子であるならば、曹操のY染色体を継承している可能性が極めて高いとされたようですね。このため、曹操の陵墓のDNAと照らし合わせることで、曹操の墳墓に埋葬されている人物が極めて曹操である可能性が高いとされたのです。何とも、かなり高度な技術ですね。
最古のDNAは?そして曹操の後継者たちの謎?
ここで最古のDNAとされるシベリアの洞窟から発見されたネアンデルタール人のDNAについて少し興味深いお話を。これは12万年前のものとされていますが、考古学者たちによると古代のDNAは熱や湿気に弱く、主に寒冷地帯で乾燥している場所でないと採取が困難なのだそうです。それを考えると、高温環境下に人がいたとしても、DNAの採取ができないために判別が不可能……となり、過去を探ることの難しさを感じさせられますね。
また最後に曹操の孫の曹芳について。彼は三代目の皇帝ですが、斉王紀によると実父不明、由来不明の人物とされ、いきなり魏の皇帝三代目がこんなことに……と悲哀を覚えます。ともあれそこから二代目皇帝の異母弟の子が四代目皇帝になるので、場つなぎの意味も大きかったのでしょうが……それでも曹操の、いえ曹操だけでなく血を受け継ぐことの難しさを感じる一件だと思いますね。
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三国志ライター センのひとりごと
三国志演義では悪役のように描かれる曹操ですが、そのひ孫の四代目皇帝、曹髦が司馬昭に暗殺され、その帝位を奪われた悲劇の人物のように描かれているのは興味深くないでしょうか。
時代が変われば、そして人が変わってくれば、見方も変化するということでしょうか。個人的にはこれもまた、歴史の妙味であり、興味深さであり、楽しさだと思います。ぜひ皆様も、色々な方面から時代を楽しんでほしいと思います。どぼーん。
参考:魏書武帝紀
曹操 奸雄に秘められた「時代の変革者」の実像 / 三国志学会