
『史記』と『戦国策』は、どちらも中国の戦国時代を知るための古い書物です。『史記』は前漢の司馬遷が書き上げた歴史書。『戦国策』は前漢の末に劉向が編んだ、遊説家たちの弁論や逸話の集まりです。二つの書物は、成り立ちや形が異なります。同じ人物についても、残されている記述が異なることがあります。
では、どちらを信用すればよいのか。この記事では、二つの書物の作者と成り立ち、中身の違い、史料としての評価を比べたうえで、記述が分かれる例として、秦の将軍・桓齮の最期を読み比べます。
きっかけは、漫画『キングダム』の69巻。桓騎(史書では桓齮)の最期の場面に、『史記』と『戦国策』の一文が並んで注記されていたのです。片方は李牧が秦軍を退けたと書き、もう片方は桓騎を殺したと書いていました。どっちが本当なのか。気になったまま調べてみると、二つの書物の生まれ方の違いが見えてきました。
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この記事の目次
戦国策と史記の違い:早わかり表
| 項目 | 『史記』 | 『戦国策』 |
|---|---|---|
| 作者・編者 | 司馬遷 | 原作者は不明。前漢の末に劉向が宮中の書物を整理して編んだ |
| 書物になった時期 | 前漢の武帝のころ | 前漢の末(『史記』より後) |
| 形 | 紀伝体の歴史書(本紀・表・書・世家・列伝) | 国ごとに分けた弁論・逸話の集まり(33篇) |
| 扱う時代 | 伝説の黄帝から前漢の武帝まで | 戦国時代を中心とする諸国の記録・説話 |
| 中身の中心 | 帝王の事績、年表、制度、諸侯の家、人物の伝記を組み合わせて記す | 遊説家(縦横家)が王に説いた言葉と策略 |
| 史料としての性格 | 通史の基本史料。個々の記述は、ほかの篇や史料と突き合わせて使う | 弁論や逸話を含み、史実や年代の検討が必要な重要史料 |
『戦国策』の項目は、コトバンクに載る複数の辞典(世界大百科事典、日本大百科全書、ブリタニカ国際大百科事典ほか)の記述で照らし合わせました。
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『史記』とは?司馬遷が書き上げた歴史書
『史記』は、前漢の武帝の時代に、司馬遷が書き上げた歴史書です。伝説の黄帝から、司馬遷自身が生きた武帝のころまでを扱っています。形は紀伝体と呼ばれます。王朝の歩みを記す本紀、年表の表、制度をまとめた書、諸侯の家ごとの世家、そして人物ごとの列伝。後の中国の正史は、この形を手本に書かれていきました。
全部で130篇。夏休みの読書感想文に選ぶ本としては、まず候補に上がらない厚さです。司馬遷は、宮中に残る記録や先人の書物を集め、各地を旅して聞いた話も使いながら、ひとつの歴史に組み上げました。
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『戦国策』とは?劉向がまとめた遊説家たちの言葉
『戦国策』は、戦国時代に諸国を渡り歩いた遊説家、いわゆる縦横家たちの言葉と策略を、国ごとに集めた書物です。蘇秦や張儀の名前が有名です。原作者は分かっていません。前漢の末、宮中の書物を整理していた劉向が、ばらばらに伝わっていた戦国時代の話を集め、重なりを削り、国ごとに並べて33篇にまとめました。『戦国策』という名前を付けたのも、劉向。
引き出しの奥から出てきた、紙の大きさも題もばらばらのレシピのメモを、一冊のノートに清書し直したような仕事だと思います。ちなみに、ブリタニカ国際大百科事典によれば、「戦国時代」という呼び名の由来もこの書物。弁論や逸話を集めた一冊の名前が、そのまま時代の呼び名になっているというのは、少し意外でした。
「漁夫の利」や「虎の威を借る狐」といった故事成語も、『戦国策』に出てくる話です。どちらも、王に向かって語られたたとえ話でした。
史記と戦国策の関係:史記のほうが先に書かれていた
書物になった順番でいえば、『史記』のほうが先です。司馬遷は武帝の時代の人で、劉向が『戦国策』を編んだのはそのあと、前漢の末になります。
ただ、材料の古さは別の話。後漢の班固は『漢書』の司馬遷伝の評の中で、司馬遷が『世本』や『戦国策』を材料に取ったと書いています。班固の評をそのまま読めば、司馬遷も戦国時代の話の集まりを材料にしていたことになります。ただ、それが劉向の編んだ今の『戦国策』と同じ形だったかまでは、この評からは分かりません。
ブリタニカ国際大百科事典も、『戦国策』には『史記』の記述と合致するものが少なくない、としています。では、両書の記述が分かれるとき、それぞれどの材料から来たのか。司馬遷が、どのように本文を選んだのか。そこは、班固の評も語っていません。
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戦国策と史記、どっちが信用できる?
どちらか一方を正解と決めて読むのではなく、一つひとつの記述を、ほかの篇や史料と突き合わせて確かめること。これが基本です。年や出来事は『史記』の本紀・年表・列伝を突き合わせ、『戦国策』や出土した資料とも比べて確かめます。
『戦国策』については、辞典の評価を並べると、注意すべき点と価値の両方が見えてきます。
| 辞典 | 『戦国策』の評価 |
|---|---|
| 世界大百科事典 | 記述は必ずしも実録ではなく、事実や年代に矛盾も多い |
| 日本大百科全書 | 史実への関心は薄く、小説的でさえある |
| ブリタニカ国際大百科事典 | 貴重な史料。『史記』の記述と合致するものが少なくない |
| 山川 世界史小辞典 | 『春秋』以後の史実を知る文献史料として重要 |
記録の正確さへの注意と、史料としての価値。この二つは両立します。たしかに、『戦国策』の中心は遊説家の弁論。王を説き伏せるための言葉は、話を大きくしがちですし、あとから整えられた話も混じっています。話のうまい人の武勇伝が、人に話すたびに少しずつ立派になっていくのと似ています。
ただ、だから役に立たない、というわけではありません。当時の政治や外交、遊説家たちの言葉を知るうえで、重要な史料だからです。そこへ1973年、湖南省長沙の馬王堆3号漢墓から出てきたのが、絹に書かれた書物。
のちに『戦国縦横家書』と名づけられたこの帛書は、劉向が『戦国策』を編むより前に書き写されたものでした。全27章のうち11章は、『戦国策』や『史記』などに伝わる文章と対応し、残りの16章は新しく見つかった文章でした。
訳注者の大西克也氏は、蘇秦の書簡や弁論が、比較的もとの形に近い姿で収められている点を評価しています。こうした出土資料の研究は、蘇秦の活動時期や事績を見直す材料にもなりました(齋藤賢氏「蘇秦列傳の成立」ほか)。『史記』の側も、こうして一つずつ確かめ直されている、ということです。
「史記が正しくて、戦国策は作り話」とも、「戦国策のほうが生の声」とも言い切れない、というのが今の見方だと思います。
記述が分かれる例:秦の将軍・桓齮の最期
桓齮は、秦王政(のちの始皇帝)の時代の秦の将軍です。宜安で戦った相手は、趙の名将・李牧。漫画『キングダム』では桓騎の名前で登場し、69巻でその最期が描かれます。その最期の場面には、次の二つの注記が入っています。原文と訳は、作中の表記のまま。
| 作中の出典表記 | 原文(作中の表記) | 作中の訳 |
|---|---|---|
| 「史記 趙世家」より | 三年、秦攻赤麗・宜安。李牧率師、與戰肥下、却之。 | 幽繆王三年、秦が赤麗と宜安を攻めた。李牧が軍を率いて肥下の地で戦い、秦軍を退けた。 |
| 「戦国策 趙巻」より | 李牧數破走秦軍、殺秦将桓騎。 | 李牧は度々秦軍を破り敗走させ、秦将桓騎を殺した。 |
作中では、史書の「桓齮」を、作中の名前に合わせて「桓騎」に置き換えています。
『史記』趙世家は、秦が攻めてきて、李牧が肥下で退けた、とだけ書きます。桓齮の名前は出てきません。『戦国策』は、その桓齮を殺した、と言い切っています。『史記』には、李牧本人の伝もあります。宜安で李牧に敗れた秦の将軍・桓齮について、李牧の伝と『戦国策』を並べると、こうなります。
| 書物と篇 | 原文 | 書いてあること |
|---|---|---|
| 『史記』廉頗藺相如列伝(李牧の段) | 擊秦軍於宜安,大破秦軍,走秦將桓齮 | 李牧が宜安で秦軍を大破し、桓齮を敗走させた |
| 『戦国策』趙策四 | 李牧數破走秦軍,殺秦將桓齮 | 李牧はたびたび秦軍を破って退け、秦の将・桓齮を殺した |
目に付くのは、『史記』李牧の伝が宜安での「走」(敗走させた)を記すのに対し、『戦国策』には李牧が桓齮を「殺」したという一文があること。ただ、『戦国策』の文も、まず「數破走秦軍」、たびたび秦軍を破って敗走させたと書き、そのうえで「殺」と続けています。殺した場所や年は、この一文には書かれていません。同じ戦いの結末が二つに分かれた、とはすぐには言えません。
『史記』の側には、秦の歴史を記した秦始皇本紀もあります。こちらは始皇十四年(前233年)に、秦が宜安を取り、桓齮が平陽と武城を平定したと書きます。同じ時期の秦の趙攻めでも、篇によって残す出来事や記し方が違います。今回の引用だけでは、同じ一戦の勝敗を逆に記したのか、別の局面を記したのかは決められません。
同じ運動会でも、父親が撮ったビデオと母親がつけた日記では、残っている場面が違うことがあります。それに近いことが起きているのかもしれませんし、どちらかが誤っているのかもしれません。作中の桓騎は、李牧の目前で趙兵の槍を受けて倒れました。「走」と「殺」のどちらに近いかといえば、「殺」の側の最期です。
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桓齮の最期は、結局どちらが本当?
決め手はありません。最初は、『史記』の「走」を信じればよいと思っていました。ただ、読み比べてみると、『戦国策』も秦軍を敗走させたと書いたうえで「殺」と続けています。宜安で敗走させ、そのあとの別の機会に殺した、という読み方も、文面の上では成り立ちます。
『史記』の「走」は、敗走させたという記録。その場面のあと、桓齮がどれだけ生きたのか、どう死んだのかまでは書いていません。逆に『戦国策』のこの章は、李牧の戦功に続いて、秦の反間策、李牧の処刑、趙の滅亡を語ります。「殺」の一語だけで、死んだ年や場所を決めることはできません。
原先生は、李牧の目前で倒れる最期を描き、その場面に『史記』と『戦国策』の両方の一文を添えました。どちらか一方に決めてしまわず、二つの記録を並べたまま読者に渡した、とも読めます。そこから先は、読む側が考えるところなのだと思います。
よくある質問
戦国策の作者は誰ですか?
原作者は分かっていません。前漢の末に劉向が、宮中に残っていた戦国時代の話を整理して33篇にまとめ、『戦国策』と名づけました。
史記と戦国策はどちらが先に書かれましたか?
書物としては『史記』が先です。ただ、『戦国策』にまとめられた話には、それより前から伝わっていたものがあります。後漢の班固は、司馬遷が『戦国策』を材料に取ったと評しています。
「戦国時代」という名前は戦国策から来ているのですか?
そう説明されています。ブリタニカ国際大百科事典は、「戦国時代」という呼称がこの書物に由来すると説明しています。
漁夫の利は戦国策の話ですか?
はい。燕策に出てくる、シギとハマグリが争っているうちに漁師に両方とも捕まる話です。燕のために蘇代が趙の王に語り、趙と燕が争えば強い秦が漁師の立場になる、と説いて趙の燕攻めを止めようとしました。
虎の威を借る狐も戦国策ですか?
はい。楚策に出てくる、江乙(本によっては江一)が楚の宣王の問いに答えた話です。
キングダムで桓騎の最期に引かれている史書は何ですか?
69巻の桓騎の最期の場面に、『史記』趙世家の「秦攻赤麗・宜安。李牧率師、與戰肥下、却之。」と、『戦国策』(作中の表記は「戦国策 趙巻」)の「李牧數破走秦軍、殺秦将桓騎。」が注記として入っています。
キングダムライターおとぼけの独り言
桓騎の最期の記事を書き直したとき、『史記』の「走」の一字だけで記事が一本書けてしまいました。今回は、その一字と『戦国策』の「殺」の一字を並べてみたら、二つの書物の生まれ方の違いまで見えてきた、という一本になりました。
史書は、そこに書いてあることがすべて本当だから読むのではなく、誰が、何のために、何を材料に書いたのかを考えながら読むもの。そう思うと、二千年以上前の一字一字も、なかなか味わい深く見えてきます。それでは兄弟たちよ、また次の記事でお会いしまっせ!




















