桃園の結義(または桃園の誓い)は、劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)の三人が、義兄弟の契りを結ぶという有名なシーンです。「同年、同月、同日に死ぬことを誓う」このセリフに込められた想いは、並々ならぬものです。
三人の願った生き様が浮き彫りに
劉備と関羽と張飛の三人は、「一緒に死ぬ」ことを誓い合いました。ここはもし孫策(そんさく)と孫権(そんけん)の兄弟であれば、「一緒に天下を取ろうぜ!」という誓いである気がします。
ちなみに曹操(そうそう)、夏候惇(かこうとん)、夏侯淵(かこうえん)であれば(兄弟ではなく親戚ですが)、「一生俺を裏切るな」かもしれません。しかし劉備たち三兄弟の誓いは「死ぬこと」です。一緒に死ぬというのは、つまり、戦死。
畳の上で大往生することなんて、望んでもいなかったということです。政治腐敗や黄巾の乱で乱れた世の中で、少しでも役に立つ働きをして、戦い抜いて一緒に散っていこうという誓いなのです。武士ですね。
この時代ではまだ確立されていませんが、中国には道教という土着の宗教があります。これは中国独特の宗教で、仏教やキリスト教などの世界宗教とは大きく違う点があります。
道教の一番の特徴
それは道教では、「現世利益」を大切にしているところです。死んだあとのことではなく、今生きているこの時が大事という思想です。こういう国民性を持つ人たちの中で、「一緒に死のう」と誓う三人の姿は、かなり特殊であり、胸を打つものであるといえます。数千年たっても、彼らの物語が人々の心を惹きつける理由も、ここにあるのかもしれません。
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誓いの通りの死に際
220年1月、関羽が呉軍によって殺されると、劉備は孔明が止めるのも聞かず、かたき討ちに出陣することを決めます。
221年6月、準備が整い、いざ出陣、というときになり、張飛が部下に殺されてしまいます。
関羽のかたき討ちに息巻くあまり、部下に対する態度がひどかったためです。
223年6月、関羽、張飛を失った劉備は、それでもかたき討ちに出陣しました。初めは連勝していたものの、だんだんと劣勢になり、陣中で病を得た劉備は、帰陣することなく途中の白帝城で亡くなります。同年同月同日、というわけではありませんが、ほぼ同時期に、三人とも無念の死を遂げました。
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