曹操は父曹嵩の仇討のため、徐州で無差別殺戮を繰り返していたところ
自城でクーデターが起こり、
裏切られ、兗州は呂布に乗っ取られてしまいました。
曹操は大慌てで徐州から戻ってきて、彼らの討伐に向かいます。
濮陽の戦い。怖いくらい冷静な曹操
荀彧(じゅんいく)の守る鄄城(けんじょう)についた曹操は
濮陽(ぼくよう)に陣を張った呂布を見て、
怖いくらい冷静に嘲笑います。
「東の東平(とうへい)に陣を張ればまだ勝ち目もあったものを
呂布のやつはやはりアホだな」
と。
そして青州兵とともに濮陽に攻め入ります。
この時、曹操に協力者が現れ、城の東門に引き入れてもらえます。
しかし、なんとこれは陳宮の計略でした。
待ち伏せしていた呂布軍に散々に打ちのめされて包囲され、
おまけに火の手が上がります。
曹操は夢中で逃げますが、敵兵は「曹操はどこだ!?」と
血眼になって探しています。
曹操は左のてのひらに大やけどを負いながら
「曹操はあそこの黄色の馬で逃げている人だ!」と兵を欺き、
なんとか逃げ出しました。
さて。大やけどを負って自陣に戻ってきた曹操は、
またもや冷静に、動揺している兵たちを鎮めます。
内心はそれどころではないはずですが
大将が動揺している姿を見せるわけにはいかなかったのです。
濮陽の戦いは、その後100日近くの間続きましたが、
兗州にイナゴの被害が起きたせいで、人間同士が食い合うほどの
飢饉となり、戦いどころではなくなってしまい、終結しました。
定陶の戦い。女性も兵士として使っちゃうもんね!
濮陽の戦いの翌年、曹操は呂布との戦いを再開します。
定陶(ていとう)に攻め込みました。
しかし、ここで曹操にピンチが訪れます。
たまたま、曹操軍の兵士たちが麦の収穫へ出ていたとき
(兵糧は大事ですから……)
なんと呂布が陣に攻め込んできたのです。
陣営には1000人あまりしか兵がいません。
曹操はそこで一計を考えつきました。
その場に残っていた女性たちに兵士の恰好をさせて
陣営の壁にそってずらりと並ばせて、守備兵を装わせたのです。
呂布はこれを見て、
「こんなに伏兵がいるとは、曹操はやっぱり油断のならないやつだな」
と、攻め込むのをやめて引き返してしまうのです。
呂布はあとで、伏兵なんていなかったことを知り、悔しがります。
そこで、次こそはと攻め込んできたとき、
今度は本物の伏兵が用意されていて、曹操軍に打ち破られてしまうのです。
曹操はその勢いで定陶を奪い返し、
兗州の各県を平定しました。
裏切り者の末路
戦に負けた呂布と陳宮は劉備のもとへ、張邈は袁術のもとへ向かいます。
曹操は、自分を裏切った親友を決して許さず、
張邈の父母、兄弟、妻子らを皆殺しにします。
当の張邈自身は、袁術のもとへ向かう途中に
部下に離反されて殺されてしまいます。
のちに曹操は呂布を捕らえた際、
やはり許そうかどうか心が揺れたりしますし、
陳宮も再び自分に仕える気はないかと誘いかけますが
親友だった張邈だけは、感情的に許せなかったのかもしれません。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。