官渡(かんと)の戦いは、曹操(そうそう)が、袁紹(えんしょう)軍の攻城兵器である櫓(やぐら)を破壊してより、双方とも次の一手を打ちかね、膠着(こうちゃく)状態になってしまいます。
しかし、物量と兵力に勝る袁紹が、そのまま包囲を継続できるのに対して曹操軍は、早急に兵糧の調達をしなければ飢餓が起きる可能性がありました。双方とも、生命線である兵糧の補給隊である輜重を軽騎兵で襲撃して、兵糧を奪ったり、補給拠点を焼き払ったりしていますが、時間が経過するほどに、曹操(そうそう)軍の食糧事情は悪くなります。
それにプラスして、袁紹(えんしょう)は、曹操の後方で劉備(りゅうび)を使って反乱を起こし曹操(そうそう)は、ここにも兵力を裂かないといけなくなるなど、支配地の統治にも深刻な影響が発生してきていました。
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弱気の曹操、撤退を検討する
その中で、曹操(そうそう)の不安は極度に達し、ついに退却して再起を図る事を決断、そこで、許都を守備する荀彧(じゅんいく)に対して退却を仄(ほの)めかす手紙を送ります。
荀彧が曹操に送った言葉
「余は、袁紹の強圧を防ぐ為に一度、許都に撤退しようと考えている。それを追って、袁紹軍が領内に侵略してきた所を四方から迎撃しようと思うが、荀彧の意見はどうか?」
この弱気な手紙に対し、荀彧(じゅんいく)は、次のような返事を送りました。
「丞相、我々は最弱の兵力を以て、最強の敵とブチ当たっているのです。今、あなたが逃げ腰になれば、我が軍は士気を喪失し袁紹の迎撃を防ぐ力はありません、きっと全滅するでしょう。辛抱して下さい、必ず勝機はやってきます。ここが、天下分け目の正念場、逃げてはなりませんぞ」
曹操(そうそう)は、荀彧(じゅんいく)の手紙を読んで、自分が柄にもなく、弱気になっていた事を知り、このような弱気な手紙を書いた事を恥じました。
「そうだ、、袁紹が強大なのは、承知の上で始めた戦ではないか。今さら弱気になって何としよう、、やれるだけやってみよう」
そして、曹操のこの決断が三国志史上に残る奇跡の逆転勝利を曹操にもたらす事になります。官渡の戦いの最大の功労者は、実は荀彧(じゅんいく)なのかも知れません。
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