第一回好きな武将ランキングで、
見事曹操と並んで2位を獲得した武将、姜維(きょうい)。
諸葛亮亡き後、その後継者として最後まで戦った悲劇の武将として評価され、
また近年ではゲーム『三國無双』でイケメンキャラとしてのイメージもあり、根強い人気を誇ります。
しかし『三国志演義』で活躍するイメージとは違い、史書『三国志』では辛口の評価をされている姜維。
彼の持つこの二面性は一体何が原因なのでしょうか?
魏から蜀に投降
姜維は元々は魏の武将でした。
西暦228年、孔明による第一次北伐の際には、姜維は魏の太守である馬遵の配下として偵察に赴きました。
しかし、姜維が裏切るのではないかと疑心暗鬼に陥った馬遵は姜維を捨てて逃亡。
追ってきた彼を城に入れることを拒んでしまいます。
行き場を失った姜維はやむなく蜀軍に投降。
しかし、孔明にその才能を見出され、蜀に帰順して北伐に従軍するようになります。
孔明の死後、軍の中枢として諸軍を統率するようになった姜維。
西方異民族の反乱を制するなど、功績をあげます。
魏の武将であった夏侯覇が司馬懿が起こしたクーデターを受けて蜀に亡命してくると、
姜維はこれを好機と考え、孔明の死後中断している北伐の再開を志しました。
孔明の遺志をついで北伐を志す
しかし、姜維の志を諌めるものがいました。それは蜀の政権を把握する人物、費禕(ひい)でした。
「丞相(孔明)ですら成し得なかった北伐をどうして我々ができるものか。今は国力の増強に努め、機会を待とうではないか」
費禕は姜維に一万以上の兵を与えることなく、姜維は北伐を一時諦めざるをえませんでした。
しかし、姜維を諌めた費禕はその後殺害されてしまいます。
費禕亡き後、蜀の軍権を掌握した姜維は周囲の反対を押し切り、北伐を再開させてしまいます。
初めこそ戦功を上げ、大将軍にまで昇進する姜維でしたが、魏の鄧艾との戦いで大敗して以降。劣勢を強いられます。
国内では姜維の北伐への批判が高まり、姜維はやむなく北伐を中断して漢中の守備を固めることになります。
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蜀の滅亡後も反乱を起こそうとする
蜀の宮中では劉禅が宦官の黄皓を重用、黄皓が政治の実権を握ってしまいます。
魏の侵攻を察知した姜維は増援を要請しますが、黄皓によって要請は握りつぶされてしまいます。
劣勢を強いられる中、姜維は善戦して魏の鐘会を一時は撤退を考えさせるところまで追い詰めます。しかし、魏の鄧艾は姜維の守備を回避し、後方である蜀の都成都を急襲。劉禅があっけなく魏に降伏したために、姜維もまた魏に降伏せざるを得ませんでした。
その後、姜維は野心家であった鐘会を利用して魏に対し反乱を起こそうと企みますが、鐘会の配下の将軍によって殺されてしまいました。
なぜ、姜維の北伐は支持されなかったか?
孔明の後を継いで北伐を志した姜維でしたが、彼を批判する声は後を絶ちませんでした。
孔明の北伐で国力が疲弊していたのもその大きな原因でしたが、姜維が支持を得られなかった最大の理由は、彼が西方である涼州の出身であったからです。
もともと涼州の豪族であり、更には魏に仕えていた姜維は、蜀の宮中に合っては少数派閥に過ぎません。
蔣琬や費禕といった有力な文官が彼の手綱を握ってコントロールしているうちは良かったのですが、その後ろ盾を無くしてしまうと孤立化を免れなかったわけです。
また、姜維は軍事を志向し、内政を顧みなかったことも、彼の立場を弱くする大きな原因だったと言えるでしょう。
彼が後方にあって内政に力を入れていれば、あるいは黄皓の専横を招くことも避けられたのかもしれません。
孔明の後継者として描かれた『演義』の姜維
『三国志演義』は劉備玄徳を漢の正統な後継者とし、彼とその軍師である諸葛孔明を主人公として描かれた物語です。
その主人公のひとりである孔明に重用されたことから、姜維もまた『演義』において厚遇されることになります。
『演義』では、姜維は武将としての才覚を派手に描かれる一方、内政を顧みず無謀な一面は描写されていません。
姜維が蜀の功臣として描かれることが多いのも、『演義』の影響にほかなりません。
忠犬姜維?
姜維はもともと魏の将軍でした。
しかし、彼は自分の上司に裏切られ、魏に帰投することも叶わず、やむなく蜀へと降っています。
自らの野心のために望んで蜀に降ったわけではありません。
これは勝手な妄想に過ぎないかもしれませんが、姜維は、ある意味で『忠犬』のような人物だったのかもしれません。
犬は自分の意志で飼い主を選ぶことはできません。
しかし彼らは例え主人がどのような人間であろうと、その人に捨てられない限りはその忠誠を貫きます。
姜維もまた、そんな人だったのかもしれません。
本来の主人であった魏に捨てられ、その後孔明に見出された姜維。
彼の北伐は、自分を捨てた元の主人である魏への恨みと、自分を拾ってくれた孔明への、終生変わらない忠誠心の表れだったのかもしれません。
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