三国志のゲームなどをやっていると兵糧という言葉を目にします。
米を主食にする日本だと米を連想しますが、三国志の時代、米は華南地方でしか
取れず、中原と華北では、粟(あわ)を食べていました。
その一方で小麦も伝わり、何と呂布はパンで牛肉を挟んだ
ビーフバーガーを食べていたようなのです。
栄養価が高い、粟(あわ)
吉川栄治の三国志では、劉備の母が、劉備(りゅうび)と二人の食卓を
囲む時に、粟を煮て夕食にするシーンがあります。
粟は糖質70%、たんぱく質10%でビタミンB群を含み、鉄やその他、
ミネラルも豊富に含んでいます。
しかも日照りにも強く栽培が簡単である上に消化と吸収によいという事で
漢の時代には、庶民の食事として広く浸透しました。
粟の食べ方
まず、粟を水で洗い、鍋に入れて煮込みます。
15分程度も煮込むとそれだけで食べられる位に柔らかくなっています。
漢の時代の竈(かまど)は現在のようなガスではなく安定した火力が得られないので、
粟のように少ない火力で燃料を使わない食事はうってつけだったようです。
米を食べなれた人には、エグみと渋さがありますが、黄色い粒には、
甘みもあって美味しいです。
雑穀米を問題なく食べる人であれば粟は問題なく食べられます。
庶民の頃の劉備は、このような粟を食べて毎日をつつましく過ごしていたのでしょう。
このように広く庶民に食べられた粟ですが、やがて小麦が普及すると、
主食の座を追われていきます。
無能な皇帝、霊帝は異民族コスプレマニア
金儲けしか頭になく、官位を売買して後漢を崩壊に導いたアホ皇帝、
霊帝は一方で大変な外国カブレでもありました。
当時、胡人(こじん)と呼ばれた、トルコ系の異民族のきらびやかな衣装に、
惚れこんだ霊帝は、自分の衣装もインテリアも全て西域異民族風にして
1人で自己満足していました。
霊帝がこうだと、当然、霊帝の関心を買おうと家臣も西域趣味になります。
かくして、都、洛陽に流入してきたのが胡人の主食である胡餅(こべい)です。
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胡人の主食の胡餅は、パンの事
胡餅は胡餅炉と呼ばれる窯の内側に小麦粉を油で練った生地を
薄く延ばして火を通りやすくして貼り付けて造ります。
今でも、中央アジアには、同じような窯があり、そこではナンというパンを焼いて
主食としているので、霊帝の時代の胡餅も、似たような形をしていたであろうと
推測されています。
うす焼きのパリパリしたパン、胡餅の食感は、当時の洛陽の人々に、
新鮮な衝撃を与えたようで、かなりの枚数が食べられたようです。
文献に残る、ビーフ・バーガーを食べた呂布?
宋代に成立した太平要覧という本に引用される王粲(おうさん)の
英雄記には呂布(りょふ)について以下のような記述があります。
※王粲は、元は劉表に仕えて、後に曹操・曹丕に仕えた学者、
得意技はロバの鳴き真似(本当)
李叔節(り・しゅくせつ)は弟の李進先(り・しんせん)とともに
乗氏の城内にいたが、呂布が乗氏の城下まで来たとき、
李叔節は城内から出てきて呂布のもとへ参詣したが、
李進先は出ていくことを承知しなかった。
李叔節のために数頭の肥えた牛をつぶし、数十石の酒をもち、
一万枚の胡餅をつくり、先に待ちうけて客人をねぎらった。
ここに出てくる李叔節と李進先は、どちらかが曹操の配下の武将で
李乾(りかん)という人物です。
彼は、魏の名将李典の従父であるようです。
それは兎も角として、内容を見ると、呂布をもてなす為に、
数頭の肥えた牛を潰して、数十石の酒を造り、そして一万枚の
胡餅を造ったという記録があります。
一石は150キロですから、最低でも1・5トンの酒を出して、
一万枚という胡餅を焼き、数頭の牛を潰したという事ですから、
これは呂布の軍勢をもてなす大宴会の類だと思います。
さて、そもそも、胡餅というのは、そのままで食べるものではなく、
間に何かを挟んで食べるものです。
呂布の軍勢は西域出身者が多かったので李叔節は牛を潰して
胡餅を造ったのでしょう、彼等は胡餅に牛肉を挟んで食べ
酒を大いに飲んだ事でしょう。
つまり呂布は今風にいうビーフバーガーを食べていた事になるのです。
まあ、パンはバンズではありませんから厳密には違いますが・・
同じ時代を生きていても、劉備と呂布では随分食べているものが違います。
もっとも、劉備も戦乱の中国で名が知れて劉表(りゅうひょう)の
食客になる頃には、美味いものを食べてデブチンになったりしますけどね。
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三国志ライターkawausoの独り言
劉備が貧乏時代に食べていた粟は、今では雑穀米として、
その栄養価が見直されています。
逆に、美味そうな呂布のビーフバーガーは、今の価値観で言うと
ジャンクフードという事になるのでしょうか?
まあ、当時のビーフは薬なんか少しも使わない天然ビーフなので
健康に悪いという事は無かったかも知れません。
今日も三国志の話題をご馳走様でした・・
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