三国志の映画やアニメで、大軍勢がぶつかり合うシーンはとても迫力があります。その一方で、武将が1対1で戦う場面にも引き込まれてしまいます。『三国志演義』では100を超える一騎打ちが演じられます。一騎打ちにまつわるデータやエピソードに焦点を当てた三国志の楽しみ方をご紹介します。
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一騎打ちの最多勝
やはり気になるのは、一騎打ちで一番勝った武将は誰か?ですよね。三国志の一騎打ち最多勝に輝いたのは……、趙雲です。さすが全身是胆なりと劉備に褒められるだけはあります。
趙雲が負けたのはまだ魏軍にいた姜維だけです。この戦いのときにはもう趙雲はお年で、姜維は若武者でしたしね。ちなみにその他の上位10名はというと、2位関羽、3位張飛、4位許褚、5位魏延、6位徐晃、7位黄忠、8位馬超、9位張郃、10位龐徳となっています。
五虎将に魏延を加えて、蜀の武将が6人も入り、あとは魏の武将です。
あれ、呉の武将が……。呉の武将では12位に甘寧がいるだけで、あとは上位に入るほど一騎打ちをした人はいません。魏や蜀に比べて豪傑のイメージが薄いのはこのせいかもしれませんね。
一騎打ち名勝負
さまざまなマッチアップがある三国志の一騎打ち。このうちの名勝負と言われるものをピックアップしましょう。まずは、許褚VS馬超!父を討たれた馬超がかたき討ちをするために曹操軍と激突。向かうところ敵なしの馬超に挑んだのが怪力許褚でした。何合打ち合っても勝負の行方が見えず、しまいには許褚は熱くなったと鎧を脱いで上半身裸で一騎打ちを続けます。馬超の持っていた槍を取り合う形になり、それも折れてなお2人は戦い続けましたが、決着はつかず。それぞれの陣営に戻ると、2人とも相手を称賛したのでした。
次は孫策VS太史慈!一騎打ちが少ない呉軍ですが、君主の孫策が誰よりも武勇に秀でていました。そんな孫策がまだ袁術の元にいたころ、大将として軍を率いて劉繇軍を攻めていたときに太史慈と遭遇します。太史慈の挑戦に、腕に自信がある孫策は応じて一騎打ちとなります。孫策は太史慈の馬を突き、戟を奪う。
太史慈も負けじと孫策の兜を取るほどの攻めを見せる。決着がつかないまま、両軍の本隊が到着して水入りとなったのでした。この一騎打ちが名勝負と言われるのは、後日談とセットになっているからでもあります。その後、孫策軍は劉繇軍を破り、太史慈は捕まってしまいます。
孫策は太史慈を配下にするように説得すると、これを承諾します。そこへ、劉繇が死んだという情報が舞い込みます。孫策は劉繇が死んで行き場を失った兵を連れてくるように太史慈に命令します。そのまま太史慈は帰ってこないだろうと配下はみんなあきれますが、孫策は信じて送り出します。結果は、期日の60日に、太史慈は約束通りに兵を率いて戻ってきたのでした。
意外な一騎打ち
三国志の中のたくさんの一騎打ちの中には、ちょっと思いがけないものもあります。たとえば、魏延VS司馬懿。魏軍の打倒を目指した諸葛亮の北伐に参加した魏延ですが、敵軍の総大将で諸葛亮にも負けない知略を備えた司馬懿と一騎打ちをしています。3合ほど打ち合うと、魏延は馬を返して逃走!
まさかの司馬懿の勝利です。これは諸葛亮が司馬懿を引っ張り出すために仕掛けた策だったのですが、それにしても、司馬懿はどうして一騎打ちに応じたのでしょう。三国志演義は創作部分が含まれているので、不思議なエピソードも見られます。
関興は関羽の息子の1人。父の関羽は荊州を、呉に攻められて捕縛され、斬首されてしまいます。このとき関羽の退路を断ったうちの1人が、潘璋でした。そのあと、劉備は関羽のかたき討ちのために呉を攻めます。
夷陵の戦いと呼ばれるこの戦いで、潘璋は黄忠に追いかけ回されて、あちこちと逃げ回ります。黄忠は戦死してしまいますが、今度は関興に狙われます。息も絶え絶えになった潘璋は、一晩泊めてもらおうとある民家を訪れます。しかし、そこでまさかの関興とばったり遭遇!それだけでもびっくりなのに、さらに関羽の亡霊まで現れます。呆然とする潘璋はばっさりと関興に斬られてしまうのでした。
三国志ライターたまっこの独り言
ひとりひとりの武将にスポットライトが当たる一騎打ちは、やはり三国志の華です。勝っても負けてもそれぞれの個性が際立つ瞬間。個人的には関羽と黄忠の一騎打ちが好きです。
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