人気欲しさのメディアのヤラセが後を絶たない昨今ですが、
三国志の世界でも、新たなヤラセが発覚して波紋を広げています。
それが、あの孔明の南蛮征伐が孔明(こうめい)と孟獲(もうかく)の
ヤラセだったという演義ファンを裏切るような事実です。
三国志を扱う、はじさんでは、このようなスキャンダルをうやむやに
してはならずと、総力をあげて追及しました。
この記事の目次
経歴詐称?実は漢族の血が入っていた孟獲
三国志演義では、ヒゲボーボー胸毛もじゃもじゃの元祖ワイルドで
南蛮の雰囲気を独り占めする孟獲、自らをキングオブ南蛮と呼ぶ
彼ですが、実は純粋な異民族とは嘘であり漢族との混血である
という事実が明らかになりました。
それは、西暦355年に東晋の常璩(じょうきょ)が書いた
益州の風土について紹介した華陽国志の南中志に登場します。
建寧郡(けんねいぐん)滇池(てんち)県(雲南省昆明市)に産まれた
孟獲は、どうやらタイ族と漢族の混血であるようです。
しかも、演義とは違い南蛮の王でもなく普通の役人であった模様で、
すでに体臭がキツイ半裸のムキムキ男のイメージはありません。
幻滅です、悪役プロレスラーが実は礼儀正しいのを見てしまった時の
ような激しい幻滅を感じます、知りたくなかった(泣)
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孟獲は実はインテリだった!!
演義では、横暴な筋肉馬鹿で諦めが悪いという癒し系の孟獲、、
しかし、実際の彼は、かなりのインテリで諦めがいいという
衝撃の事実が発覚しました。
話によると、西暦225年頃、劉備が死んだ蜀を見限り、
呉の孫権について益州刺史の雍闓(ようがい)が反乱を起しました。
ところが、雍闓は煽動が下手らしく、味方が集まりません。
そこで雍闓に味方した孟獲が、益州の庶民にこう言いました。
「お偉い方は、お前達に、高さ9メートルの木材を
3千枚出せと言ってる、お前達にそれが出来ようか?」
実は南蛮では、木は真っ直ぐ伸びず、曲がりくねります。
ですから、6m真っ直ぐの材木さえ珍しいのです。
それを聴いた益州の民は、これは蜀は無理難題を自分達に
押し付けようとしていると思い、こぞって雍闓に味方しました。
どうでしょう?どこが脳筋なの?と思う位に頭が切れる
じゃあないですか!!
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孟獲、孔明に捕まりあっさり敗北を認める???
演義の孟獲と言えば、何度孔明に捕まっても負け惜しみを言い、
ついに7回捕まるまで負けを認めないど根性ガエルです。
しかし、華陽国志によると、現実はまるで違います。
反乱を起した雍闓を討伐すべく、孔明が兵を進めると、
益州でも内紛が起きて雍闓が高定(こうてい)に殺害されます。
その時、高定は、自分が王にならず孟獲を王に据えます。
ところが、孔明は孟獲が王になったと知ると高額な懸賞金を掛け
孟獲をあっさり捕えてしまうのです。
孔明は孟獲を連れて自分の陣営を見せて孟獲の感想を聴きました。
孟獲「知らなかったのが残念です、公はたやすく勝利なさるでしょう」
なんと、孟獲、あっさりと自分は孔明には勝てないと認めてしまうのです。
何て潔いんだ孟獲、7回どころか1回でKOなんて・・
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