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前田利家の逸話やエピソードは本当?かぶきものとして名高い喧嘩好き御仁

2020年6月28日


 

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利家とまつ amazon

 

前田利家(まえだ としいえ
)
といえば、加賀100万石という言葉が思い出されますよね。また、妻のまつとの関係も良好で、2人の関係性を題材にした大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』も制作されました。加賀、現在の石川県を中心とした地域では、今なお2人を称える文化が残っています。

 

そんな尊敬される利家ですが、若い頃は生来の荒っぽさから過激な逸話やエピソードが多く残されています。今回は、それらをなるべく年代を追いながらご紹介していきたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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前田利家の身長が182cmだった!

前田利家

 

幼いころから身長が大きかったとされており、最終的には182cmまで大きくなったというのが定説になっています。これは、残っていた着物からの推定なので、かなり信憑性があります。当時の平均身長157cm前後よりはかなり高いですよね。

 

前田利家は男前だった

 

細身で端正な顔立ちだったという記録があります。背が高く、男前ならさぞかしモテたでしょう。

 

前田利家はかぶき者だった

長い槍が得意な前田利家

 

利家は、派手な格好をして悪さをする、いわゆる「かぶき者」であったとされています。今でいう暴走族や不良・ヤンキーのようなものなのでしょう。いつの世も暴れる若者はいるものですね。武家の四男坊ということで、責任感が薄く、力を持て余していたのでしょう。大男のかぶき者、町ではなるべく会いたくありませんね。

 

前田利家は男色だった?

 

この時代の、不良のかっこいいとされていることに「衆道(しゅどう
)
(男色)」がありました。男同士で恋人のようにベタベタするといったところでしょうか。世間で絶対にダメとされていることを、わざとするのがかっこいいと思われていたのでしょう。

 

織田信長

 

信長にも可愛がられたという記録があるのですが、2人とも「オレは悪だぜ」ということのアピールのようにも思えます。若気の至りというやつでしょうか。あったとしても一時のことのようです。なぜなら、利家は妻との関係が良好だからです。

 

正室「まつ」との間に11人の子供をもうけ、側室もいた利家

 

そう、利家は子供が多いです。正室のまつとの間だけでも11人ですが、側室との間にも8人ほどいたと言われています。ということで、夫婦関係が円満であったことと、かなりの女性好きであったことが知られています。

【次のページに続きます】

 

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しばがき

sibagaki

ライター自己紹介: 歴史はやっぱり戦争・動乱期に惹かれてしまいます。平和主義者なのに。。。 好きな歴史人物: カエサル(シーザー) 何か一言: 戦国最強は武田信玄。

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