前田利家の逸話やエピソードは本当?かぶきものとして名高い喧嘩好き御仁

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前田利家の逸話(1P目)


前田利家は槍の名手だった

無断参戦して手柄を立てる前田利家

 

利家のフルネームは「前田又左衞門利家(まえだまたざえもんとしいえ)」といいます。槍が得意な利家は、初陣でその槍によって武功を挙げます。そこから「槍の又左衞門」、「槍の又左」というあだ名がついたそうです。さらに後には「比類なき槍」、「日本無双の槍」などとも称えられます。その槍の長さは約6m30cm!

 

通常のおおよそ2倍ほどだったと伝わっています。残念ながら実物は残っておりませんが、記録は多いです。体が大きく、力が強かったため、扱えたということでしょう。これほどの長さは、他にあまり例がありません。

 

本多忠勝

 

長槍で有名な、徳川家康(とくがわ いえやす
)
の家臣・本多忠勝(ほんだ ただかつ
)
の「蜻蛉切(とんぼきり
)
」でも6m程度ですが、これも異例の長さだったといわれています。そして、派手好きの利家は、これを真っ赤(朱色)に塗っていたそうです。敵からしたらめっちゃ怖いでしょうね。でっかいでっかい奴が、長い長い赤色の槍を振り回して向かってくるのですから。


前田利家は信長から「犬」と呼ばれていた?

麒麟にまたがる織田信長

 

利家の幼名は「犬千代(いぬちよ)」で、信長の小姓(付き人みたいなもの)になったときには、元服(げんぶく
)
前なのでその名前です。それで、「犬」というあだ名で呼ばれていたといわれています。

 

宴会好きな豊臣秀吉

 

秀吉の「猿」との対比でよく使われますね。ちなみに、先ほど出てきた初陣も元服前(15才頃)です。今で言う中学生ぐらい?ですが、体格はすでに大人以上だったかもしれません。初陣で武功を立てるということも異例のことです。さらに、利家の武勇エピソードは続きます。


顔に矢を受けながらも、刺さったまま敵陣に突撃し、射た敵を討ち取る

 

元服直後に参加した次の戦の中、利家は右目の下あたりに矢を受けます。重傷なのですが、興奮していたためか、痛みを感じなかったのかもしれません。めちゃめちゃに腹を立てた利家は、矢が刺さったまま、周りの静止を振りほどき敵陣に突撃します。そして、自分を射たものを探し出し、見事討ち取ってみせました。信長はその武勇に感嘆して

 

「犬千代はまだかような小倅ながらもこのような功を立てたぞ!」

 

と引き合いに出し、自軍を奮い立たせたといわれています。


利家は怪我が元で隻眼(片目)になった?

同年小録(書物・書類)

 

先ほどの怪我が元で片目になったという説がありますが、どうも後世の作り話のようです。そういった記録もなく、肖像画も通常の目に描かれています。ただ、顔に傷が残ったことは間違いないでしょう。


赤母衣衆の筆頭に大抜擢される前田利家

南蛮胴を身に着けた織田信長

 

まもなく、信長は直属の親衛隊という位置づけの、『赤と黒の母衣衆』という部隊を新設します。利家は、その赤母衣衆の筆頭に抜擢されました。部下もできましたし、給料も増えました。ちなみに黒の筆頭は佐々成政(さっさ なりまさ
)
です。この2人、後に袂を分かち、大名として対決することになるのですが、それはまだまだ先のお話です。

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