この五人を並べてみるとどうしても張遼の活躍が目に付きますが、他の四人も負けず劣らず優秀で功を挙げているのが魏の五将軍の特徴です。今回はその中でも、特に「やたらめったら曹操に褒められる」徐晃についてのお話をしましょう。
徐晃が曹操の元に来るまで
さて徐晃ですが、元々は楊奉の配下武将でした。楊奉の配下であった際に徐晃は曹操への帰順を進言します。一度は徐晃の考えを取り入れようとした楊奉でしたが、途中で気が変わって対立。
徐晃は曹操に帰順、この際に曹操は徐晃にすぐ一部隊を与えるという破格の待遇で、徐晃もそれに応えて呂布配下を降伏させる働きを見せ、その後もいくつもの武働きを見せています。
元主君
ちょっと余談ですが徐晃の元主、楊奉について。彼はかつては黄巾賊の一首領、そこから李カクの配下、李カクを見限って独立、それから曹操に帰順しようとしてやっぱりやーめた!となって呂布の配下になったりと中々面白い経歴の持ち主です。
それでも献帝を助けたりしているところを見ると、もしかしたら曹操と対立を選んだのは献帝への敬意などがあったのかもしれませんね。
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知勇兼備
と、徐晃の話に戻りましょう。徐晃と言えば関羽と戦って勝利したというイメージがありますが、彼の活躍はそれだけではありません。潼関の戦いの時には敵の守備の甘い部分を見抜き、曹操に進言。
「私に兵を与えて下さい。河を渡って敵の背後を突きます」この作戦は見事大成功、曹操たちも無事に河を渡ることができました。個人の武勇だけでなく、全体を見ることができる指揮官としての能力の高さも徐晃の力の一つです。
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魏の五将軍・徐晃
そしてその能力の高さは曹操だけでなく、陳寿先生にも評価されています。
「曹操の時代においての優れた武将と言えば、張遼・楽進・于禁・張コウ・徐晃。彼ら五人が第一」彼ら五人は一つの伝にまとめられていることもあり、魏の五将軍としても有名ですね。
それぞれ負けず劣らずの名将揃い、筆頭として張遼の名前が良く挙げられますが、彼らは目立つ場所がそれぞれ違っただけであり、誰が一番ということはない、むしろ「五人を第一」とした陳寿先生の評価は凄く良く分かります。
曹操「徐晃すごい」
そして徐晃の特徴というか、面白い事の一つになんか曹操がいつも褒めている気がするがあります。
その一つが関羽を打ち破った際のこと。この戦いの際に曹操は徐晃を「戦上手な武将はたくさん知っているけど、徐晃ほど上手く兵を使った人はいなかったね!」と言って「孫武や司馬穰苴にも勝る」と評価しています。
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