袁術の最大のやらかしポイントとして、皇帝僭称があります。というか、筆者の中でこの皇帝を名乗ってしまったことが袁術の終わりの始まりと言っても過言ではありません。
今回はこの袁術の皇帝僭称についてどこがダメだったのか、個人的ながら筆者なりの解説をしてみたいと思います。どうぞ一意見としてご参考までによろしくお願いします。
この記事の目次
そもそも皇帝生きてる
初っ端ですが、ここに集結していると言ってもいいでしょう。
漢王朝の権威は失墜しているとはいえ、曹操に保護された献帝という存在がまだ生きているのです。
この漢の時代において、漢の血筋の献帝は(事実はどうあれ)絶対の存在。その献帝を無視して「私が皇帝です(※皇帝の一人称は朕です)」と言っても、周囲からは認められないでしょう。
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皇帝という「理由」
そしてこの時代、皇帝は戦う理由になりました。めちゃくちゃ簡単に言ってしまうと、皇帝というトップがいて周囲の群雄割拠は全てその配下のようなもの。
なので
「あいつと戦いますけどこれ皇帝のためです!」
「ちょっと隣の領地を攻めて占領してますけどこれ全部皇帝のためですから!」
ざっくりいうと群雄割拠とはこんな状態です。
そこで畏れ多くも皇帝なんて名乗ってしまえば「皇帝を名乗るなんて不敬である!打ち倒してやる!ついでにお前の土地も貰う(本命)!」と言われる理由ができてしまうのですね。
これでは周囲全てを自ら敵に回していると言っても良いでしょう。
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劉備「漢の皇帝です」
と、ここで「劉備だって皇帝名乗ったじゃん!」とお思いのことでしょう。しかし、劉備と袁術には大きな違いがあります。
劉備は漢の皇帝の血筋の人物(自称)ですが、袁術はそうではないのです。
後の世でも皇室の一族が皇帝を勝手に名乗ることはありますが、その皇室の一族に何の関係もない、むしろその王朝で何代も重役に就いた故の名族、袁一族。
そんな人物が皇帝を名乗っても誰もついてはいかないでしょう。そもそも劉備も「献帝は無理やり皇位を奪われたの!だから俺が漢を復活させるの!」という意味で皇帝を名乗っていますからね……袁術とはここが違うのです。
どうして皇帝名乗っちゃったの?
なので最終的には「どうして袁術はいきなり皇帝を名乗ってしまったの?」となるのですが……はっきりした理由は分からないんですよね。
史書や呉書を読むと「皇室の在り方に疑問があった」「皇室の権威が失墜していることに気付いたので」などなど書かれていますが、こういうことを考えている、理解している所を見ると袁術は巷で言われているほど何にも分かっていないということはないと思うのですよ。
寧ろきちんと政治の流れを見ていると言って良いでしょう。
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