「董卓」は後漢末期に権勢を奮い、彼を打倒するために後の「三国志」を彩る主要メンバーが集ったことで有名ですね。そんな董卓、国を揺るがした「暴君」として様々な逸話を持っています。
今回の記事ではそんな董卓の逸話の数々を紹介していきましょう。
この記事の目次
異民族に入り込み、彼らを手なずける董卓
董卓は涼州隴西郡の出身で、そのあたりは異民族である「羌族」も多く住んでいる地域でした。
董卓は若いころから腕っぷしが強く、そんな「羌族」の中にも入りこみ、彼らに顔を売り次第に親しくなっていきました。
普段は地元で農業に従事していましたが、羌族の顔役が董卓を訪ねてくると、董卓は自分の牛を殺し、その肉でもてなしたといいます。
盗賊の取り締まりや、異民族の討伐のプロとなる
そんな董卓の評判が広まったのか、彼は盗賊の取り締まりの担当役人に抜擢されます。のちに異民族の「胡族」が侵略してくると、董卓はその度胸の良さを買われ、涼州の巡察官にも任命されます。
そして異民族との戦いで目覚ましい戦果をあげ、その後は「黄巾の乱」が起こるまではもっぱら「異民族鎮圧のプロ」として活躍していました。
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人並み外れた腕力で馬を自在に操った
董卓は戦場ではとても勇猛であり、腕力にはかなり自信があったといいます。戦では彼はもっぱら「騎兵」を指揮しましたが、特技として「弓袋を馬の両側に就け、馳せながら左右の腕のどちらからもでも射ることが出来た。」と史書に記載されています。董卓と言えば「肥満」のイメージですが、この逸話からは少なくとも若いころはスリムだったことがわかりますね。
地方で勢いを増す董卓、でも中央には従わない!
董卓は異民族討伐で成果を上げていましたが、そんな時に「黄巾の乱」が発生します。これまでの戦果から董卓も近衛軍の司令官に抜擢され、黄巾族討伐に駆り出されますが、惨敗し、免職されてしまいます。
しかし、騒乱はやむことは無く、またしても呼び戻され、異民族と組んで反乱を起こした「韓遂」らを撃退します。この戦いで董卓は羌族の大軍に包囲されますが、ここで魚を獲るふりをして川をせき止め、堰の下を通って密かに包囲を抜け出します。
その後に堰を切ると川の水があふれ、羌族は追撃することが出来なくなってしまいました。董卓の策略の上手さを示す逸話です。彼の田舎の荒くれ者揃いの軍は勢力を拡大し、中央からも召し出しの命令が出されますが、董卓はこの命令を無視し、地方で力を蓄えることになるのです。
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一気に政権を掌握する董卓
後漢の「霊帝」が亡くなると、大将軍の「何進」は対立関係にあった宦官殲滅のクーデターを計画し、圧力のために武力で鳴らす董卓を呼び寄せます。
その進軍途中、董卓は運よく都の混乱から逃亡していた「少帝」と「陳留王」(後の献帝)を保護することに成功します。「玉」を手に入れた董卓は勢いそのままに都を制圧してしまいます。
この時董卓の軍勢は実はわずかでしたが、董卓は一計を案じます。それは四、五日おきに、夜間の四つの城門から兵士をひそかに城外に出し、翌日に軍旗や太鼓で勇ましく入城させ、「またもや軍勢が到着!」と宣伝させたのです。これにより、董卓は自軍を大きく見せることに成功したのです。
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