三国時代の話をしようとしているこの場で、突然ですが、「光武帝」に登場いただこうと思います!
「光武帝って誰?」と思った方のために、ザックリと紹介しますと、光武帝というのは「後漢」王朝を興した皇帝です。
そもそも漢王朝は「項羽と劉邦の戦い」で有名な劉邦が興した王朝です。
実は一度、その漢王朝は中断しています。帝位を簒奪され、「新」という王朝にのっとられたことがあるのです。
その状態から奇跡の漢王室復興を一代で成し遂げたのが、光武帝こと劉秀という人物なのです!そして彼が再興した後の漢を、「後漢」と呼んで、以前の漢王朝とは区別します。
さらに時代がくだり、その後漢王朝が腐敗しきって機能しなくなった為に群雄割拠状態に陥るのが、三国時代というわけです。
さて、この「光武帝」。後漢王朝が機能しなくなったそのときに、「私の子孫たち、何をやっているのか!もうよい、朕に解決させろ!」とばかりに転生してきたら、どんな行動に出るのか?
それを今回は考えてみましょう!
この記事の目次
そもそも光武帝ってどんな人物?
まず、光武帝というのはどういう人物だったのでしょうか?
ヒトコトでいうと、なんでも自分でできてしまうリーダーです。
軍事も得意ですし、外交駆け引きも得意ですし、内政にも安定をもたらすことができます。そのうえ、本人はたいへん柔和で信頼感のある人柄だったとのこと。容姿もよく、そのカリスマ性で周りからも慕われます。
つまり、いわゆる「チート能力」な名君です。そんな光武帝が、三国時代の始まりの頃に転生してきたら、どうなるのでしょうか?
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光武帝の動きはあたかも「王朝復興請負人?」
おさらいとなりますが、光武帝は、一度滅んだ漢王室を一代で復興してしまった人です。漢が一度滅んだ時も、中国は三国時代に負けない激しい群雄割拠状態になったのですが、それをあっというまに再統一してしまったのが、光武帝なのです。
そんな人が後漢末期に転生してきたら?
彼は同じことをやるでしょう。つまり、「王室を一代で復興し、群雄割拠状態にさせない」生き方をするでしょう。具体的には、次のような手順で行動するのではないでしょうか?
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まず黄巾賊の乱を自力で平定する光武帝
光武帝が自ら指揮を取って乱を鎮めてしまうとしたら?三国志の物語では、「黄巾賊討伐で名を挙げた云々」という肩書で各地の群雄たちが出世してきますが、この機会が事前に刈り取られてしまいます。
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次に西方の異民族との平和外交を実施する光武帝
後漢王朝が悩んでいた異民族問題も、外交上手な光武帝ならうまく取りまとめることでしょう。特に西方の騎馬民族に対しては、剛柔を巧みに使い分けて、早めに手なずけてしまうのではないでしょうか?
これをやられると董卓が私的な軍閥を作る背景もなくなりますので、董卓の登場も予防することになります!
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さらに宦官たちの支配を無血で除外する光武帝
光武帝のよいところは、できるだけ穏便に問題を解決するところです。粛清や殺戮は彼の望むところではありません。
そんな光武帝が手を付けるのは、後漢王朝の病理であった宦官の横行。ただし、これもできるだけ穏便に、その支配力を削ぎ落とし、政治秩序を回復させることでしょう。
これならば、三国志序盤の大事件である、「何進将軍の暗殺」事件も起こりません。洛陽の大混乱も起こりません。というか、そもそも何進将軍が出てくる場面もありません!彼も暗殺されることも何もなく、平凡な軍人として平和に暮らすことでしょう。
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