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「突然ですが光武帝です」後漢の名君が三国志の時代に転生してきたらどうなる?

2022年2月11日


 

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ものすごく強かった光武帝

 

三国時代の話をしようとしているこの場で、突然ですが、「光武帝(こうぶてい)」に登場いただこうと思います!

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

「光武帝って誰?」と思った方のために、ザックリと紹介しますと、光武帝というのは「後漢」王朝を興した皇帝です。

サッカーボールを蹴る劉邦

 

そもそも漢王朝は「項羽(こうう)劉邦(りゅうほう)の戦い」で有名な劉邦が興した王朝です。

 

皇帝に即位する王莽

 

実は一度、その漢王朝は中断しています。帝位を簒奪され、「新」という王朝にのっとられたことがあるのです。

 

光武帝(劉秀)陰麗華

 

その状態から奇跡の漢王室復興を一代で成し遂げたのが、光武帝こと劉秀(りゅうしゅう)という人物なのです!そして彼が再興した後の漢を、「後漢」と呼んで、以前の漢王朝とは区別します。

 

力をつけ始めた曹操をぶっ潰そうと考えた袁紹

 

さらに時代がくだり、その後漢王朝が腐敗しきって機能しなくなった為に群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)状態に陥るのが、三国時代というわけです。

 

劉秀(光武帝)

 

さて、この「光武帝」。後漢王朝が機能しなくなったそのときに、「私の子孫たち、何をやっているのか!もうよい、朕に解決させろ!」とばかりに転生してきたら、どんな行動に出るのか?

 

それを今回は考えてみましょう!

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも光武帝ってどんな人物?

光武帝(劉秀)

 

まず、光武帝というのはどういう人物だったのでしょうか?

ヒトコトでいうと、なんでも自分でできてしまうリーダーです。

 

光武帝

 

軍事も得意ですし、外交駆け引きも得意ですし、内政にも安定をもたらすことができます。そのうえ、本人はたいへん柔和で信頼感のある人柄だったとのこと。容姿もよく、そのカリスマ性で周りからも慕われます。

 

チート級な功績な光武帝

 

つまり、いわゆる「チート能力」な名君です。そんな光武帝が、三国時代の始まりの頃に転生してきたら、どうなるのでしょうか?

 

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光武帝

 

 

 

光武帝の動きはあたかも「王朝復興請負人?」

光武帝を解説する荀彧

 

おさらいとなりますが、光武帝は、一度滅んだ漢王室を一代で復興してしまった人です。漢が一度滅んだ時も、中国は三国時代に負けない激しい群雄割拠状態になったのですが、それをあっというまに再統一してしまったのが、光武帝なのです。

 

そんな人が後漢末期に転生してきたら?

 

彼は同じことをやるでしょう。つまり、「王室を一代で復興し、群雄割拠状態にさせない」生き方をするでしょう。具体的には、次のような手順で行動するのではないでしょうか?

 

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はじめての漢王朝

 

 

まず黄巾賊の乱を自力で平定する光武帝

暴れまわる黄巾賊

 

光武帝が自ら指揮を取って乱を鎮めてしまうとしたら?三国志の物語では、「黄巾(こうきん)賊討伐で名を挙げた云々」という肩書で各地の群雄たちが出世してきますが、この機会が事前に刈り取られてしまいます。

 

 

これでは、曹操(そうそう)孫堅(そんけん)劉備(りゅうび)も、光武帝に頭が上がりません。

 

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黄巾賊

 

 

次に西方の異民族との平和外交を実施する光武帝

何でもできちゃう光武帝

 

後漢王朝が悩んでいた異民族問題も、外交上手な光武帝ならうまく取りまとめることでしょう。特に西方の騎馬民族に対しては、剛柔を巧みに使い分けて、早めに手なずけてしまうのではないでしょうか?

 

薄い五銖銭を作らせる董卓

 

これをやられると董卓(とうたく)が私的な軍閥を作る背景もなくなりますので、董卓の登場も予防することになります!

 

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まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの

 

 

さらに宦官たちの支配を無血で除外する光武帝

漢委奴国王の金印を倭国に贈る光武帝

 

光武帝のよいところは、できるだけ穏便に問題を解決するところです。粛清や殺戮は彼の望むところではありません。

 

十常侍(宦官)

 

そんな光武帝が手を付けるのは、後漢王朝の病理であった宦官(かんがん)の横行。ただし、これもできるだけ穏便に、その支配力を削ぎ落とし、政治秩序を回復させることでしょう。

 

宦官を一掃することを決意する何進

 

これならば、三国志序盤の大事件である、「何進将軍の暗殺」事件も起こりません。洛陽の大混乱も起こりません。というか、そもそも何進将軍が出てくる場面もありません!彼も暗殺されることも何もなく、平凡な軍人として平和に暮らすことでしょう。

 

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宦官

 

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YASHIRO

YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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