皆様は牛金という武将を知っていますでしょうか?
そう、曹仁将軍によって救われ「曹仁将軍は正に天上人のようなお方!」と言った(言ってない)あの牛金です。しかしその曹仁将軍の曹家は司馬家によって乗っ取られてしまいます……その際に実は牛金はある策略を立てており、それを防ぐべく司馬懿は牛金を毒殺!
しかしその血筋は、生きていたのだ――――。という妄想が今回の大半です。どうぞよろしくお願いします。
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偵察をしくじり呉軍に包囲される牛金
さて牛金は生没年は不詳です。しかし曹仁の配下の兵として長く各地を共に渡り、いくつもの戦場を駆け巡りました。牛金は曹仁から深く信頼を受けており、呉の周瑜が赤壁の戦い後に6000の兵を率いて江陵に攻めてきた時には、これに300の兵を率いて戦うように、と命じられました。
一見すると無茶な命令ですが、これも恐らく曹仁将軍による天下無双の采配、もしくは牛金の類い稀なる軍略の才能と武勇を信頼してのことでしょう。
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曹仁に救われ興奮のあまり曹仁を神と崇める
そして牛金は意気揚々と周瑜軍と対峙します。しかし天の悪戯か、はたまた敵の卑劣なる策略か!牛金たちは周瑜軍に包囲されてしまいます。ですが、天は正しき者を見捨てません。
曹仁はこれに怒って精鋭十名で周瑜軍に猛攻をかけ、牛金を含む誰一人欠けることなく救い出し、周瑜たちを退けました。その姿を見た陳矯らは「将軍は正に天上人のようだ!」と曹仁を称えたのです。
こんな曹仁将軍を曹洪殿と間違えるなど大変不敬極まりないことですね!
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馬岱や公孫淵を破り後将軍に昇進する牛金
さて今後もとりあえずヤバくなったら曹仁将軍に頼ればいい、みたいに魏の苦境に立たされては立ち向かっていく曹仁将軍の栄光ロードですが、主題は牛金です。
正史で牛金が出てくるのは、次は司馬懿の配下として。235年のことで既に曹仁は亡くなっているので、勇将の下で鍛え上げられた配下として司馬懿の下に付けられたのでしょう。ここで馬岱の軍を破っています。
後に司馬懿の軍に参加して公孫淵を破るなどして、その後で亡くなったとされています。最終的には後将軍にまで上り詰めました。
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司馬懿が怪しい石碑で牛金暗殺を謀る
が、ここで牛金の謎の死に触れてみましょう。なんと牛金は司馬懿によって毒殺されたというのです。それはある日のこと、ある石碑の表面に「馬の後を継ぐのは牛である」という文字が浮かび上がりました。馬とは司馬、そして牛とは正しく牛金のことである!
そう、この浮かび上がった文字は、今の司馬の世はいずれ牛金という簒奪者によって崩されるということを意味していたのです。司馬懿はこれを見て、牛金の始末を考えました。
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