さてさて今回は張勲のお話です。張勲と言えばあの袁術軍の大将軍、ちょっと色々と不思議なことに大将軍に任命された人物です。
しかして正史ではその役職の響きには不似合いな顛末を迎えてしまう人物ですが、実は彼にはもしかしてのIFルートが存在したかもしれない?そこで今回は、張勲と意外な人物の友誼についてお話しましょう。
この記事の目次
袁術サマに大将軍1/2に任命される張勲
まず張勲が歴史に出てくるのは袁術が揚州を手に入れた時のこと。この時に張勲は橋ズイと共に取り立てられて、大将軍に任命されたと言います。
そこまでの経緯や出生は不明なのですが、もしかしたら歴史に語られない活躍などがあったのかもしれません。まあこの大将軍に任命もだいぶ良く分からない所がありますが、袁術様が任命したのだから大丈夫でしょう。問題はティー・スプーンひと匙のハチミツほどもないでしょうね!
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皇帝になり味方が離れるボッチの実能力者袁術
その後、袁術は皇帝を自称し始めます。このために孫策や周瑜、魯粛などの名士たちが離れて行ってしまうのですが、張勲は袁術に逆らうことも、離反することもなく仕え続けました。
しかし袁家の勢いは落ちていく一方、また領内も荒れていく一方です。そこで袁術は呂布と仲良くしようとするのですが、これが上手くいかず、袁術激怒。張勲らに数万の兵を率いさせて呂布を攻撃させます。
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楊奉と韓暹が呂布に寝返り大敗北
これに相対したのが陳親子。「あれなるはにわか集めの軍勢にしか過ぎないものです。彼らの仲を裂いて、崩壊させることに致しましょう」
呂布はこの離間の計を用いて、張勲の友軍だった楊奉、韓暹らに手紙を書き、利益を与えることを約束したため、彼らは離反。友軍を失った張勲らの軍勢は陳親子の目論み通り崩壊、しかも同胞の橋ズイを生け捕られるなど、大敗北を喫してしまいます。
袁術サマは張勲を信じつつ威風堂々たる逃亡
呂布軍相手に大敗北してしまうも、諦めないのが袁術様の良い所。今度は陳王、劉寵を攻撃するために出陣します。
これにまた張勲らも従軍するのですが、今度目の前に立ちはだかったのは曹操です。びっくりしたのか袁術は、張勲らを置いて自分だけ帰ってしまいました。せめてこの時、全軍で撤退していたらその後は違ったのかもしれないけれど……。
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