三国志のあの出来事は西暦何年?
三国志のあの武将の出身地はどこ?
調べものや二次創作で湧いてくる、様々な疑問にご活用ください。
今回は、呂布、張遼、郭淮、郝昭、王允の故郷である并州のデータベースです。
この記事の目次
并州を構成する郡と出身人物
朔方郡:
雲中郡:張楊
定襄郡:
雁門郡:張遼
太原郡:宋翼、関靖、郭淮、王淩、王昶、温恢、王允、郭泰、令孤愚、孫資、魯昔、郝凱、
靳詳、郝昭
上党郡:浩周
西河郡:
上郡:
并州の主な出来事
中平5年(188年):西河郡白波谷で黄巾賊の残党(白波賊)が蜂起。屠各胡、刺史の張懿を殺害。
中平6年(189年):呂布、丁原を殺害。上党に駐屯していた張楊、并州で暴れる。
初平4年(193年):袁紹の甥高幹、并州の牧となる。
建安9年(204年):并州牧高幹、曹操に降り并州刺史に任ぜられる。
建安10年(205年):刺史高幹、曹操の烏桓討伐を知り反乱。楽進、李典がこれを討ち、高幹は壷関に籠城
建安11年(206年):曹操、壷関を攻略し高幹は逃亡、梁習が刺史となる。
建安16年(211年):太原の商曜らが大陸で反乱。夏侯淵、徐晃がこれを討伐。
建安18年(213年):并州を廃し冀州に合併。
建安20年(215年):雲中、定襄、五原、朔方の諸郡を廃し、太原郡と雁門郡の間に新興郡を設置。
建安22年(217年):太原の烏桓王、魯昔、駐屯地を抜けて太原に帰り、妻を連れて脱走。
梁習、張景に追跡させ、これを射殺する。
黄初元年(220年):曹丕、并州を設置。梁習を刺史に再任。
黄初6年(225年):刺史の梁習、鮮卑族の軻比能を討伐する。
太和6年(232年):刺史の畢軌、鮮卑の長、歩度根と軻比能を討伐。歩度根と軻比能は合流して国境付近を荒らす。
秦朗これを討つ。歩度根の配下、載胡阿狼泥らが魏に帰順。
嘉平4年(252年):雁門と新興の二郡、呉討伐の為の徴兵を拒否して反乱