三国志史上、天下分け目の決戦である官渡の戦いに勝利した曹操は
事実上、中国最強の勢力を手にいれました。
官渡の戦いから、汝南に取って返し、劉備(りゅうび)を撃破した
曹操(そうそう)は、北方平定に取りかかります。
北方平定を開始した曹操
その手始めに、曹操は、黎陽で袁紹の三男、袁尚(えんしょう)を撃破、
このショックで、袁紹(えんしょう)は血を吐いて倒れ帰らぬ人になります。
亨年は48歳、、一時は中国を支配せんとした男の寂しい最期です。
が、この袁紹(えんしょう)こともあろうに最期の最期で最悪の選択をします。
袁紹の最悪な選択
自分の後継者を、長男の袁譚(えんたん)ではなく、
三男の袁尚(えんしょう)にしてしまうのです。
袁譚には、これという落ち度もないので、袁譚とその取り巻きは、
猛反発し、袁家は、お家騒動に陥ってしまいます。
これは、曹操にとっては、笑いが止まらない事態でした。
袁譚は、弟の袁尚に戦いを挑み、二人は一騎打ちまでしますが、
袁譚(えんたん)は情けない事に、袁尚(えんしょう)に敗れてしまいます。
袁尚軍は、平原(へいげん)城に逃げ込んだ袁譚を激しく攻めます。
もう、何やってんだ?という話ですが、二人の関係は修復不能です。
攻められた袁譚も袁譚で、、あろう事か
弟憎さに曹操に降伏の使者を出します。
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」で父の仇の曹操に、
弟を攻め滅ぼしてもらおうと考えたのです!!
こうなってしまうと、袁紹が、袁譚を後継者にしなかったのも
無理からぬような感じもします。
個人の恨みを優先し、領地にわざわざ曹操軍を入れよう
というのですからもう意味不明です。
とまれ、袁紹の没後、袁家はこのような体たらくであり、
曹操の北方平定は時間の問題になっていたのです。
耳で聞いて覚える三国志
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この記事を書いた人:kawauso
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どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。