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寂しい、5日に1日しか帰宅できない三国志時代の武将達

2014年12月31日


 

曹操VS孫権R2

 

三国志というと、華々しい武将達の合戦シーン、

ゾッとするような知将達の権謀術数が繰り返される

血沸き肉躍る歴史長編活劇です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志の武将たちにも日常があるのです

帰宅は5日に1度(泣) 三国志の武将

 

しかし、三国志の武将達にだって日常があるわけで

365日、合戦しているわけではありません、

私達現代人と同様の平凡な日常もあるのです。

 

そんな平日、武将達は、どうしていたのでしょうか?

 

三国志の武将達の日常イメージ

彭越

 

私達のイメージでは、夕方になったら、城を退出して、

郊外にある自宅に馬車か馬か徒歩で帰っていったのではないか

なーんて思いますよね?

 

妻「あなた、お帰りなさいませ」

 

夫「今、帰ったよ、あー今日も曹操様に仕事の駄目出しをされた

あの人、背が低いせいか、何事もせっかちなんだよな、ぶつぶつ」

 

子供「父上、お帰り~遊んで、遊んで~」

 

妻「これっ!お父様は疲れているのよ!!」

 

こんなアットホームな家庭が浮かびますが、実は、

三国志の武将達は、5日に1日しか家に帰れませんでした。

 

5日に1日しか家に帰れなかった武将たち

 

それ以外は、城の中に建てられた宿舎、

今でいう社宅のような場所に、多くの同僚と一緒に住んでいたのです。

 

前漢の時代の長安にあった未央宮には、細長い官舎の跡があり、

恐らく、細長い建物を造り、間に仕切りを入れたような

長屋然とした建物だったのでしょう。

 

つまり、三国志の武将達は、仕事が終わっても城からは出られず、

そのまま、それぞれの社宅に戻っていたのです。

 

家に帰れるのは髪の毛を洗う日だけ

関羽 曹操 ゆるキャラ

 

家に帰れるのは、洗沐(せんもく)と言って、髪を洗う日だけでした。

当時は、儒教の影響で、髪を切るという習慣がなく、

髪や髯は、伸ばしていて、長い髪は頭頂部で纏めていました。

 

髪を切るのはタブー

 

中国の刑罰には、頭髪を剃りあげるだけの髠(こん)という

刑罰もあった位なので当時、髪を切るのがいかにタブーだったか分かります。

 

なので一度、洗髪すると髪を乾かすのは大変です。

そこで、一日は仕事にならないのでお休みになっていました。

 

身分の高い人にも城の中で泊まりこむ規則

魏武将 はじめての三国志 ゆるい

また、この城の中に泊まり込むという規則は、身分の高い人にも

適応されていたらしいのです。

 

つまり、郭嘉(かくか)程昱(ていいく)荀彧(じゅんいく)のような文官や、

夏候淵(かこうえん)夏候惇(かこうとん)許褚(きょちょ)、

張遼(ちょうりょう)のような武官も、宿舎の前に表札を下げて、

わびしい一人住まいをしていたのかも知れません。

 

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戦争で遠征する際に家族を連れて行くのは禁止

尹夫人 曹操

また、戦争で遠征に向かう武将にも、家族を連れていくのは、

許されていませんでした。

 

どうしてかと言うと、家族を連れる事を許すと、

戦争に負けた時に、家族の生命を助命する事を条件に

敵に寝返る可能性があったからです。

 

逆に言えば、家族を都に残した武将はうっかり降伏してしまうと

家族を報復で殺される可能性もあったのです。

 

しかし、5日置きにしか家族に会えないなんて、、

家族がいる武将達は、中々大変な苦労があったんですね。

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 

 

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この記事を書いた人:kawauso

kawauso

自己紹介:

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

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