三国志演義において、汜水関、虎牢関というのは、桃園3兄弟である、劉備、関羽、張飛がデビューする場として用意されているステージです。汜水関は、菫卓軍の将軍である豪傑、華雄が守備しています。ここに、孫堅が挑みかかり、孫堅配下の程普が、華雄の副将である胡軫を討ち取ります。
しかし、華雄は怯む事なく、逆に孫堅軍に攻勢を掛けた為に、劣勢になり、腹心である祖茂は孫堅の身代わりになって、討ち死にするという惨敗を喫してしまいます。
前回記事:20話:激突、菫卓対反菫卓連合軍
孫堅・兵糧を袁術に求める
孫堅は、体勢を立て直す為に、上官である袁術に兵糧を送るように要請しますが、孫堅の名声を妬んだ袁術はこれを黙殺。やむなく、孫堅は退却し、汜水関を抜く事は叶いませんでした。
恐るべし、華雄
反菫卓連合軍は、退却した孫堅の代わりに、次々と武将を送り込みますところが、華雄は勇猛で、これを次々と討ち取ってしまうのです。華雄の強さに怖気づく連合軍に、意気盛んな曹操が呼びかけます。「誰か華雄を討てる勇者はいないのか?」
関連記事:これは可哀想。。嫌な上司と呂布の謀略の為に死んだ正史の華雄(かゆう)
関連記事:そうだったのか!武器の特徴を知ると三国志の時代の戦い方が分かる!
関連記事:本当は好きなんでしょ?一騎当千の最低男、呂布の最強伝説
関羽・衝撃のデビュー戦
そこで、立ちあがったのが劉備の義弟、関羽でした。関羽は青龍堰月刀を引っ提げ、陣営を出ると、突進してきた華雄を一撃で真っ二つにして首を獲って戻ってきます。大将を失った汜水関は総崩れになり、反菫卓連合軍は、関を突破最強の武将呂布が守る虎牢関に向かうというのが三国志演義のあらすじになっているのです。
正史では関羽は出てこない!?
しかし、実際の正史の三国志では、関羽は出てきません。汜水関も虎牢関も、これを打破したのは、孫堅の手柄です。では、ここからは、孫堅が大活躍した汜水関の戦いを描きましょう。20万という大軍を誇った反菫卓連合軍ですが、日和見の消極派が多く、実際に血を流して菫卓を討とうという諸候は僅かしかいませんでした。
主力である袁紹、袁術がその消極派ですから、連合軍は毎日、宴会や会議に日を費やすばかりで、全く戦争しません。
徐栄という有能な将軍
これに業を煮やしたのが、曹操や鮑信でした、二将は連合軍の急先鋒として、菫卓軍の支配下の榮陽に攻め入りますが、菫卓配下の将軍である徐栄に散々に討ち破られます。これにより、衛茲、(えいじ)鮑韜(ほうとう)という反菫卓連合軍の武将が戦死しました。
同じ頃、孫堅も、梁県の東部で、同じ徐栄に敗れてしまいます。曹操、孫堅という三国志指折りの名将を敗走させたのですから、徐栄は有能な将軍であったと言えるでしょう。反菫卓連合軍からは、さらに王匡(おうきょ)も、軍を率いて河陽津に軍団を終結させていますが、菫卓はこれを見破り、陽動作戦を駆使して、注意を逸らしつつ、王匡軍の背後に回り王匡を打ち破りました。
しかし、敗れた孫堅は、敗残兵を纏めて、陽人城に立て籠ります。そこに菫卓は、大都護の胡軫、と騎督の呂布を派遣して攻撃しました。ところが、呂布と胡軫は、菫卓軍では誰もが知る大変な不仲でした。胡軫は武勇があったのですが、短気で粗暴だったので、部下の受けが悪く、皆に嫌われていたようです。
呂布は、そこで胡軫を失敗させ失脚させる為に、嘘の情報を流し、その為に胡軫軍は混乱し、ろくろく戦えない間に敗北、部下の華雄を孫堅に討たれてしまうのです。三国志演義では、胡軫は華雄の部下ですが、正史では胡軫は華雄の上司です。なんだかゴチャゴチャしていますね。
孫堅の活躍が面白くない人物も
こうして大活躍の孫堅ですが、名声が高まるのを面白く思わない人物がいましたそう、孫堅の上司であり消極派の雄(笑)である袁術です。ある人物が孫堅を妬んで、袁術に孫堅の悪口を吹きこんだので、それを真に受けた袁術は、善戦している孫堅に兵糧を送るのを停止します。
ところが、孫堅はこれを知るや、陽人城を出て、魯陽に布陣していた袁術に直談判しています。「私が、命を投げ出して戦うのは、上は漢王朝の為であり、下は、あなたの一族の無念を晴らす為であります。それをどうして、悪口如きで疑うのでしょうか?」
菫卓は、袁紹、袁術が反旗を翻すと、洛陽にいた袁家の一族をみせしめに皆殺しにしてしまいました。孫堅のいう無念を晴らすとは、そういう意味なのです。袁術は、自分が妬みで目を曇らせていた事に気が付き、即座に兵糧を送ったと言われています。このように汜水関の戦いとは、主戦派の曹操や、鮑信、王匡が菫卓軍と衝突して大打撃を蒙った戦いで、同時に、孫堅が大活躍をした戦いでもあるのです。