勇猛果敢で無敵の強さを誇りながら、天下を手にできなかった項羽(こうう)と、自分自身は抜けているけれども、部下をきちんと評価し、協力し合って天下を取った劉邦(りゅうほう)。
この二人の勝敗を決めたのは、人柄でした。項羽は謙虚さが足りなかったために、天下を手に入れられなかったのです。この二人の対比に、つくづく運命をいうものを感じました。
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人徳の劉備(りゅうび)
さすが劉邦の遠い子孫と言うべきでしょうか。蜀の劉備は、負け戦ばかりで、本拠地を持たずに、あっちへふらふらこっちへふらふらしていたのにも関わらず、彼のもとには多くの魅力的な人材が集まりました。
関羽、張飛、趙雲、諸葛孔明、龐統、黄忠、馬超などなど。たびたび凡人と評される劉備は、傑物たちを使いこなしたという点で、大人物です。
義兄弟である関羽が呉に殺されたときには、誰が止めても聞かず、弔い合戦に向かい、そうして自分も亡くなってしまうという熱い義理人情は何千年たっても、私たちの胸を打ちます。
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人徳のない関羽・張飛
しかし、劉邦のような劉備と相反して、彼の義兄弟たちの性格は、どちらかといえば、項羽に似ているといえます。
関羽の最期
関羽は目下のものを甘く見るところがありました。呉の呂蒙は、昔、文字を読むことも書くこともできず、関羽は「阿蒙(もうちゃん♪)」とバカにしていました。
樊城を守っていた関羽は、呂蒙や、無名の新人の陸遜を甘く見ていて油断してしまい敗走し、麦城で呉軍に包囲されてしまいます。
その際、背後を守っていた劉封(劉備の養子)に援軍を要請しますが、断られてしまうのです。実は、劉封は、いつも偉そうにしている関羽を嫌っていたのです。
劉封は、結局、関羽を助けなかったことをとがめられて自害するのですが、もしも関羽がもう少し謙虚な人であったのなら、劉封の援軍が、彼を救ったのかもしれません。
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張飛の最期
関羽の死に、義兄弟である劉備と張飛は、弔い合戦をすることを心に誓いました。
張飛は出撃に向けて、部下に対して、無茶な命令を下します。そして部下が「できない」と答えると、厳しく罰したのです。
これまでも張飛は、部下に対して思いやりのない行動が多かったといいます。部下に慕われていなかった張飛は、弔い合戦に出発する直前、「こんな上司にはついていけねえよ!」と思った部下によって、寝ている隙をついて殺されてしまうのです。
もしも張飛に少しでも思いやりがあったのなら、謙虚な気持ちがあったのなら、劉備と共に関羽の弔い合戦に出陣していたのかもしれません。その後の蜀の歴史も、きっと大いに変わったことでしょう。