曹操(そうそう)は子沢山であり、同時に複数の妻を娶った女好きでも知られます。
ところが、この曹操(そうそう)は美女に夢中になった為に、曹安民(そうあんみん)や曹昂(そうこう)、そして典韋(てんい)という猛将を失った事があります。
この記事の目次
美女、鄒氏(すうし)との出会い
西暦197年、張繡(ちょうしゅう)という武将が曹操(そうそう)に降伏します。
曹操(そうそう)は、降伏した張繡(ちょうしゅう)に会いに行きますが、その途中で絶世の美女鄒氏(すうし)を見つけて一目惚れしてしまいます。
聴けば鄒氏(すうし)は、張繡(ちょうしゅう)の戦死した叔父の妻で未亡人でした。本来なら、諦めないといけない所ですが、メロメロになった曹操(そうそう)は鄒氏(すうし)を強引に自分の妻にしてしまうのです。
曹操は強引に権力を使って自分の妻にした
張繡(ちょうしゅう)に取っては鄒氏(すうし)は叔母の妻であり兄嫁です、曹操(そうそう)の権力をカサに着た態度に張繡(ちょうしゅう)は怒りますが、張繡(ちょうしゅう)が怒っていると知った曹操(そうそう)は、逆に張繡(ちょうしゅう)を暗殺しようと策を巡らします。これには張繡(ちょうしゅう)がブチ切れてしまい、殺される前に殺してしまおうと曹操(そうそう)暗殺を決意するのです。
名参謀の賈詡(かく)が曹操暗殺を実行する
この張繡(ちょうしゅう)には参謀として賈詡(かく)という男が付いていました。後に曹操(そうそう)の参謀として活躍する人物です。
賈詡(かく)は、鄒氏(すうし)に夢中になり、城から出ない曹操(そうそう)には暗殺出来る隙があると見て曹操(そうそう)のボディーガードである豪傑、典韋(てんい)に酒を贈って飲ませます。
典韋も酒を飲み油断する
典韋(てんい)が酒を飲んでいる間に賈詡(かく)は胡車児(こしゃじ)という男に典韋(てんい)の武器を盗ませます。
それから、賈詡(かく)は城の回りを手勢で囲んで一斉に踏み込んだのです。典韋(てんい)は慌てて武器を手に取ろうとしますが、すでに武器は奪われ、どうにもなりません。
典韋は鬼のような強さを発揮
典韋(てんい)は素手で張繡(ちょうしゅう)の配下と戦い、武器を奪って奮戦します。泥酔しているにも関わらず、典韋(てんい)は鬼のように強く張繡(ちょうしゅう)軍は、典韋(てんい)の守る門を抜けません。
典韋(てんい)は最後には、無数の矢を受けてハリネズミのようになりながら、立ったまま絶命したと言われます。
しかし、典韋(てんい)が守る門以外は呆気なく開かれてしまい、曹操(そうそう)は、ようやく事態を知って、狼狽してしまいます。怒涛の如く進んで来る張繡(ちょうしゅう)軍に対し、こちらは少数、、戦況は圧倒的に不利でした。
曹操の息子たちが曹操を守る
ですが、この時に曹操(そうそう)の子である曹昂(そうこう)、そして曹操の甥にあたる曹安民(そう・あんみん)が進み出て、曹操(そうそう)を守るべく死力を尽くして戦います。二人は曹操(そうそう)を逃がす事に成功しますが、自分達は逃げ切れず、張繡(ちょうしゅう)の手に掛かって戦死してしまうのです。
曹操(そうそう)は猛将である典韋(てんい)、そして息子の曹昂(そうこう)、曹安民(そう・あんみん)を失った事で、声を上げて号泣し、自分の油断を責めたのです。
名参謀・ 賈詡(かく)のがまた活躍をする
この張繡(ちょうしゅう)は、その後、劉表(りゅうひょう)を頼って曹操(そうそう)と戦い、賈詡(かく)の活躍もあり何度か曹操(そうそう)を敗走させますが、後に曹操(そうそう)が袁紹(えんしょう)と対立するようになると、
「今ならば、曹操(そうそう)は袁紹(えんしょう)に勝つ事を優先し、殿が降伏しても喜んで受け入れるでしょう、、」という賈詡(かく)の進言を受け入れて曹操(そうそう)に降伏し軍師の賈詡(かく)と共に順調に昇進していく事になります。
曹操も敵である軍師を受け入れる
この時に曹操(そうそう)が部下と息子、甥の仇として張済(ちょうさい)を討たなかったのは、袁紹(えんしょう)を相手に味方が必要という事もあったのですが、自分の油断と奢りが張済(ちょうさい)を背かせたという失敗への反省があったからだと思います。
流石は曹操(そうそう)、仇を恨んで済ますのではなく、自分の奢りを認識できる所は天下統一の寸前まで行った英傑足る人であると思いますね。
次回記事:35話:曹操、陳宮の裏切りで兗州を呂布に奪われる!!