小見出しをざらっと読むだけで、5秒で三国志がわかったような気分になれる〇三五三(ゼロから三国、五秒で三国)のコーナーです。
今回のテーマは「関羽千里行」です。
「かんう せんりこう」と読みます。千里ゆき、でも千里ぎょう、でもありません。
三国志の武将の中でも随一の人気を誇る関羽の有名なエピソードですので三国志初心者のあなたでも、ここをバッチリ押さえておけば三国志ファンの方をうならせることができるかもしれません。
この記事の目次
関羽は劉備の夫人と共に曹操に捕らわれた
200年、下邳(かひ)城を守っていた関羽は敵軍である曹操(そうそう)に生け捕りにされてしまいます。曹操はかねてより、関羽のような優れた武将を配下に迎えたいと思っていたのでたいへん厚遇します。
関羽には義兄弟である劉備(りゅうび)のもとを離れるという選択肢はありませんが、曹操の関羽を上にも下にも置かないような待遇に恩義を覚えます。そこで曹操のもとで戦って武功を立ててから、義理を果たして劉備のもとへ帰ろうと思います。
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曹操へ恩義を返してから別れを告げる
曹操VS袁紹(えんしょう)という二大勢力の天下分け目の戦いである官渡(かんと)の戦いの中で、関羽は見事に武功を立てます。
義理は果たしたということで曹操に別れを告げに行くと、曹操は「面会謝絶」と書いた札を入り口に下げて部屋に引きこもっています。
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関羽を手放したくない曹操の悪あがきなのだー
挨拶をしたら関羽が帰ってしまうとわかっていたからです。ちょっと可愛いですね。
しかし関羽は「曹操ってば可愛い~んだからぁ」などと言っている場合ではなかったので、ドア越しに礼を尽くしてから手紙を残し劉備の夫人を馬車に乗せ、自分は愛馬の赤兎馬(せきとば)にまたがり曹操のもとを去ります。
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関羽は五関を突破する
曹操は関羽の忠義にあふれた態度に感心して、「行かせてやろう……(涙)」と追っ手を出しませんでした。しかしながら、ここは魏(ぎ)の勢力下です。通行手形を持たない関羽は、関所を通ることができません。そこで目の前に立ちふさがる五つの関所を破って進むことになります。
第一の関所:東嶺関(とうれいかん)
関所を守っていた孔秀(こうしゅう)を斬り伏せて突破しました。
第二の関所:洛陽(らくよう)
関羽は矢傷を負いながらも、関所を守っていた韓福(かんふく)を斬り捨てて突破しました。
第三の関所:沂水関(きすいかん)
伏兵を見破り、関所を守っていた卞喜(べんき)を斬り捨てて突破しました。
第四の関所:滎陽(けいよう)
宿泊していた場所が火攻めに遭いそうになりますがなんとか逃れ、関所を守っていた王植(おうしょく)を切り捨てて突破しました。
第五の関所:黄河(こうが)
渡河を阻止しようとした秦琪(しんき)を切り捨て、黄河を渡りました。以上の五つの関所破りを「関羽の五関突破(ごかんとっぱ)」といいます。
最後に立ちふさがったのは夏候惇
五つの関所を破った関羽を最後に追ってきたのは、曹操の腹心、夏候惇(かこうとん)です。五つの関所を破られたうえ、武将たちもバッサバッサと斬り捨てられ夏候惇の怒りはたいへんなものでした。
関羽と夏候惇は刃を交えますが、なかなか決着がつきません。そこへ、張遼(ちょうりょう)が駆けつけます。曹操の「もうしょうがないよ……、行かせてやろう(涙)」という伝言を持ってきたのです。
こうして夏候惇は矛を収め、関羽は無事に劉備のもとへ帰ることができました。この関羽が劉備のもとに帰るまでの逃避行を「関羽千里行」といいます。
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