赤壁の戦いで敗れた曹操(そうそう)は、
80万という大軍を失い、天下統一の覇業から、大きく後退しました。
大敗北の痛手を挽回するには、まず領内の安定を図らずを得ず、
積極的な外征は出来ない相談になったのです。
前回記事:80話:曹操の命乞いで関羽が曹操を逃がす
この記事の目次
劉備と孫権同盟の勝利に終わった
九死に一生の幸運でした。
ここで負けていれば、両名とも命は無かったでしょう。
曹操を殺せないまでも遠くへ追いやったのは、
劉備と孫権に共通する福音だったのです。
ですが、、こうして曹操の脅威が一度遠ざかると、
劉備と孫権の関係にはすきま風が吹き始めます。
劉備と孫権の関係が悪化したきっかけ
それは、天下を制するものは荊州を制するという地政学上の
鉄則から考えても自然な事でした。
肥沃な荊州を手に入れて、曹操の国力に対抗する力を付ける
というのが共に天下を狙う両者の念願でしたが、
生憎、荊州は一つしかありません。
天下三分の計を実行させる為に劉備達が動く
特に孔明(こうめい)の天下三分の計を信じ実行しようとしている
劉備にとっては、天然の要害の益州と肥沃な荊州は、
打倒曹操と漢王朝の再興に必要不可欠です。
最初に動いたのは劉備でした、、
上手く周瑜を焚きつけて曹仁と戦わせた隙を突いて
戦争のどさくさに荊州南部の四郡を占領してしまったのです。
漁夫の利を得た劉備
結局、呉は、曹操を撃ち破ったという戦果だけで、
国力をすり減らし、得るものは何も無いという状態に陥ったのです。
「劉備は、我々に血を流させて、自分は無傷で荊州を奪った!
なんたる泥棒猫だ、、許せん!」
孫権や周瑜(しゅうゆ)の胸の内に、
こういう恨みが充満しても仕方はありません。
このようにして、以前は同盟関係にあった両国は、
荊州を巡り、激しく対立するようになっていきます。
荊州南部を得たメリットは何?
一方で孔明にとっては、荊州南部を得た事は、
益州侵攻の勢いを確保する上で、大きな収穫でした。
ただ、領土が増えたばかりでなく、荊州の優秀な人材を
劉備軍に吸収して、勢力拡大に耐えうるほどに
陣営を補強する事が可能になったからです。
蜀漢の建国に向けて
曹操、そして孫権が、戦争で疲れて積極攻勢に出れない隙を突いて
劉備に益州攻略のプランを着々と実行させます。
このようにして、曹操、孫権に対して大きく立ち遅れていた
劉備は、後の蜀漢の建国に向けて大きく前進します。
孔明の小さな庵で劉備が聴いた天下三分のプランが、
今、歴史の中で実現しようとしていました。
耳で聞いて覚える三国志
次回記事:82話:呉の提督、周瑜は荊州争奪戦に散る
よく読まれている記事
よく読まれている記事:頭がキーン…頭痛に悩んだ曹操、三国志演義は医学的に正しかった?曹操の見た幻覚の原因は何だったの?
よく読まれている記事:曹操を好きになってはいけない6つの理由
よく読まれている記事:朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第1部
よく読まれてる記事:【三国志if】もし袁紹が官渡の戦いで曹操に勝ってたらどうなってたの?
この記事を書いた人:kawauso
■自己紹介:
どうも、kawausoでーす、好きな食べ物はサーモンです。
歴史ライターとして、仕事をし紙の本を出して大当たりし印税で食べるのが夢です。
もちろん、食べるのはサーモンです。