黄色で有名と言えば、キレンジャーとカレー、それに黄巾賊だと、エライ人が言ったとか言わなかったとか・・
それほどに、世界を黄色く染め上げた人物こそが黄巾賊の親玉、大賢老師(たいけんろうし)、張角(ちょうかく)です。後漢王朝に大ダメージを与え群雄割拠の時代を呼び起こした、この黄巾馬鹿一代の人生を追ってみましょう。
この記事の目次
試験に落ちて、役人にはなれず・・・最初の挫折
張角は、何も最初から黄巾賊のような宗教団体の親玉だったのでありません。元々は正義感が強く、腐敗した世の中を正してやろうと意気込んでいた田舎の青年でした。ですが、学力が無かったのか、コネが無いのか、張角は試験に受からず、最初の世の中を変えたいという夢は挫折します。
ならば、宗教指導者として世の中をよくしよう!だけど・・
やる事もなく、実家で野良仕事をしていた張角ですが、何らかの切っ掛けで元は仙人于吉(うきつ)が保有していた太平清領書を手に入れます。この本、全部で170巻あるようですが、于吉の弟子が朝廷に献上すると、胡散臭い妖術の本とされ門外不出とされます。
その朝廷では胡散臭いとされた太平清領書ですが、これを読んだ張角は、大変に感銘を受けて、この教えで世の中を救おうとし太平清領書の教えを元に、太平道という宗教団体を興します。
ですが、張角が、街角に立っていくら、「太平道は素晴らしいよ、あなたは太平道を信じますか?」と言っても立ち止まる人はなく、それどころか胡散(うさん)臭いインチキ道士だと思われて避けられてしまう有様でした。こうして、張角の夢は再び、挫折してしまうのです。
張角、方針を変更、奇蹟を起す人になる
がっかりした張角、「こんな素晴らしい教えなのに、何で誰も聞いてくれないんだ?」とどん底まで落ち込み、家に引きこもり、再び、熱心に本を読みなおします。そして、病気を癒す方法のページを読んでいた時に張角に天の啓示があります。
「そうだ!病気に悩んでいる不幸な人の病を治せばいいのだ。論より証拠、そうすれば太平道を信じる人が増えるだろう!」
張角は家を飛び出して、杖を片手に、病気で困っている人を探し始めます。当時は、貧しい人は医者に掛れず、ただ自力で病を治すしかありませんですので、うろうろしていると病人はすぐに見つかりました。
張角は強引に貧しい病気の人の家に入っていき、太平道の教えを説きながら、自作の護符を火で焼いて水に混ぜ、病人に飲ませました。
「汝は、かつて悪事を為したな?今の病はその祟りであるぞ、、しかし、心配はいらぬ太平道の教えを信じて悔い改めれば病気は治る」
誰だって、長年生きていれば人に言えない悪事の一つや二つはあります。ところが病気で弱っていた病人は、張角が自分が気にしていた悪事を見抜いたのだと信じ込み、びっくりします。そして、安心した事が良かったのか、病気は次第に解放に向かったのです。
こうして、怪しげな呪文と護符で病気を治す張角の噂は、瞬く間に、華北一帯に広がっていきます。
張角、再び、世直しを考え宦官張譲を買収するが・・
張角の病気治療は失敗する事も度々ありましたが、「病気が治らないものは太平道を信じる気持ちが足りないのだ」と強弁して押し通しました。
その間に、張角の手足となって働く門弟も増えてゆき、この間まで無職だった張角は教祖様と崇められるようになっていきます。
張角は、主だった弟子を各地に派遣して、自分の名前を吹聴させます。どんな不治の病でも治す張角の奇蹟の治療は、こうして評判になり、張角の教団の本部には、沢山の病気に悩む人々が列をなすようになります。
信者が何十万人と膨れ上がると、張角は若い頃に諦めた、世直しの夢が再び頭の中に湧いてきました。しかし、真正面から官軍とぶつかれば、素人の太平道の信者では、勝てるわけがありません。
そこで、張角は中常侍(ちゅうじょうじ)の宦官である張譲(ちょうじょう)を大金で買収して、洛陽の門を開かせて電撃戦で後漢を滅ぼそうと考えます。買収は成功、決起の日は西暦184年、3月5日と決められます。張角は、それまでに現代まで残る有名なスローガン。
蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉という文言を考えました。
意味は、漢の天下は死んだ、これからは黄巾の天下だ、甲子の歳に革命は起こり、世の中は太平になるだろうです。さらに張角は、革命を煽るように洛陽や地方の行政庁舎の門に、白チョークで甲子と書いていきました。
ところが、ここまで念入りに組みあげた蜂起計画は、買収した宦官の張譲が怖気づいたせいで、あっさり朝廷にバレました。こうして、電撃戦で洛陽を落そうとした張角の計画は挫折します。
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逆ギレ、張角、蜂起を二月に繰り上げる!
今更、「武装蜂起は止めます、ゴメンちゃーい」で通る訳もありません。張角は逆ギレし、3月の蜂起を2月に繰り上げて、全国36万人の信者と一斉蜂起します。彼等は、頭に黄色の布を巻いたので黄巾賊と呼ばれました。
張角の心配をよそに、朝廷は外戚と宦官の争いのせいで、足並みが揃わず、討伐軍の準備が遅れます。その間に黄巾賊と、黄巾賊に便乗した山賊は各地で暴れまわり、世の中は一気に乱世になりました。
「おお、これは、もしかすると、もしかするかもしれんぞよ」張角は、反乱が上手くゆくかもと期待しますが、ある男の出現で、再び、野望は木端微塵に砕かれます。
黄巾賊キラー皇甫嵩(こうほすう)登場
いつまでも外戚と宦官がいがみ合い、黄巾賊の対策が立たない朝廷に名将、皇甫嵩(こうほすう)が入ります。皇甫嵩は、霊帝に謁見し、宦官に対立して追放されている清流派官僚を呼び戻し、同時に霊帝のポケットマネーから黄巾賊討伐の軍資金を出すように要請します。
霊帝は売官で多額の富を蓄えていましたので渋々、皇甫嵩の要請に応じて、金銀を供出し宦官に追放されていた清流派の官僚を呼び戻しました。これにより、彼等官僚が張角になびいて後漢に背く可能性は無くなりまた、莫大な霊帝のポケットマネーで数万規模の討伐軍が組織できたのです。
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張角、董卓と盧稙は退けるも病に罹る・・
官軍は、幾つかに別れ、曹操(そうそう)、孫堅(そんけん)、劉備(りゅうび)というような三国志の英雄を義勇兵や、正規軍に加えながら展開していきます。
黄巾賊の本陣である広宗には、盧稙(ろしょく)が当りますが、盧稙は左豊(さほう)に賄賂を出さなかった事で讒言(ざんげん)されて更迭、後任には、あの産廃将軍、董卓(とうたく)が当りますが宗教で団結した軍団は、異民族より手ごわかったのか、まるで勝てません。ですが、張角は戦闘の最中に病に倒れてそのまま亡くなります。
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張角、墓を暴かれ、首は洛陽で曝される
張角の死後も、黄巾賊は戦闘を続けますが董卓と交代で入った皇甫嵩は強く、黄巾賊は敗れて崩壊、皇甫嵩は張角の墓を暴いて、その首を切断し洛陽の城外に曝し首にしました。腐敗した世の中を立てなおそうと考えた熱血漢、張角でしたが、実際にはあべこべに世の中に動乱を引き起こす結果になりました。現実は皮肉なものですね。
三國志ライターkawausoの独り言
張角が起した太平道の信者は外界と隔絶し信者同士で連帯して住んでいたので、いざという時には直ぐに武装集団として戦えました。
この黄巾賊の中でも最強と言われた青州黄巾賊が、後に曹操に降伏、魏軍最強の青州兵として恐れられたのは有名な話です。張角は、自分の分からない所で、曹操の魏を躍進させたとも言えますね。今日も三国志の話題をご馳走様でした。
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