西暦222年、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)の死、そして夷陵の敗戦でショックを受けた劉備(りゅうび)は後の事を孔明に託して、63年の人生の幕を閉じます。ところで、この劉備の死因とは、現代の医学で考えるとどのようなものだったのでしょうか?
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現代医学の見地から見る劉備の死因
中国は漢字の国であり、あれほどの戦乱があったにも関わらず、大量の書物や竹簡(ちくかん)が残っている国です。それを読む事によって、その時代を生きた人物がどういう症状に悩んで死を迎えたのかを推測する事が出来るのです。劉備の場合、その死因は胃潰瘍による合併症のようです。
意外にも、繊細で気にしやすい人だった劉備
劉備胃潰瘍説の根拠は、白帝城にこもっていた時に、息子劉禅(りゅうぜん)に宛てた遺書に出てきています。
「朕の病は当初、下痢に過ぎなかったが、そこから余病を併発し、今では、とうてい回復の見込みはないと思う」
この文面を見ると、白帝城に逃げ込んだ当初、劉備は、下痢に悩まされていたという事が推測されます。
しかし、下痢だと思っていた、この症状は実は胃潰瘍の症状でした。たび重なる精神的ショックと、敗戦の責任で自分を責めた劉備は、健康を損ねてしまい、胃に潰瘍が出来てしまったのです。
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胃潰瘍の合併症に悩まされた劉備
胃潰瘍の合併症には、出血と穿孔(せんこう)があります。出血した場合には、頻脈、冷や汗や吐血、下血、胸やけや胃のもたれが発生します。穿孔とは難しい言葉ですが、つまり胃に穴があいてしまう状態で、長い時間続く、腹痛、筋性防御や、発熱という症状が出てきます。劉備の遺言によると、下痢が始まってから、しばらくすると、手足の自由が利かなくなり、目も霞んでよく見えなくなっていて、就寝時にも、関羽と張飛の霊が枕元に現れて眠る事が出来ないというような精神的な不安も訴えています。
この枕元に関羽、張飛の亡霊が現れるというのは、象徴的でそれだけ、劉備が二人の仇を討てなかった事に強い負い目を感じていたという事になると思います。起きていても、寝ていても敗戦や張飛、関羽の事ばかり考えて、塞ぎこんでいた場合には、ストレスで胃に負担がかかるのは殆ど、避けられないであろうと思います。
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