現代医学からみた劉備玄徳の死因…驚愕の真実が発覚!!

2015年10月27日


 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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意外にも繊細な人物だった劉備

逃げる劉備追う曹操

 

劉備と言えば、暗殺するつもりの曹操の懐に平気でいられたり、逃げるとなったら、妻子まで捨てて、神速のスピードで逃げるなどその印象からは、臨機応変、豪傑、侠気に溢れる人というイメージがあります。

 

劉備

 

しかし、それは必要に迫られて下した決断であって、本来の劉備の性格は、義務感が強い親分肌でありながら、性格的には繊細で、ストレスに弱い部分があったのかも知れません。また、であればこそ、人間の心が分かり多くの英傑を惹きつけるそのカリスマ性が造られたのかも知れません。

 

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劉備が意地を張らずに、成都に戻っていたら状況は変わった?

赤壁の戦い 曹操

 

また、このようなタイプの人物は、一度強いストレスを感じると、これを自力で克服するのが難しいタイプでもあります。

 

ライバルの曹操(そうそう)のように赤壁で敗戦しても

「いいじゃん、済んだ事なんだから」と自分を切り変えられないのでいつまでも、同じ事で悩んで体調を悪化させるのです。

 

三国志演義では、劉備が自分の徳の無さを嘆いて、関羽や張飛に謝り、私を見限ってもいいとまで自分を責めますがあれは、100%の創作ではなく、そういう部分が劉備にはあったのです。

 

劉備 関羽 張飛

 

張飛や関羽が近くにいたのであれば、劉備を元気づけて、立ち直る切っ掛けを与えたかも知れませんが、すでに二人はなく生真面目な趙雲(ちょううん)しかいないのでは、毎日、気分は晴れない状態が続いたのだと思われます。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

もし、劉備が意地を張らずに成都に帰還して、孔明(こうめい)や、重臣のアドバイスや慰めを受けられたら、根は単純な劉備ですから元気を取り戻し、もう少し寿命は延びたような気がします。

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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