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意外にも繊細な人物だった劉備
劉備と言えば、暗殺するつもりの曹操の懐に平気でいられたり、逃げるとなったら、妻子まで捨てて、神速のスピードで逃げるなどその印象からは、臨機応変、豪傑、侠気に溢れる人というイメージがあります。
しかし、それは必要に迫られて下した決断であって、本来の劉備の性格は、義務感が強い親分肌でありながら、性格的には繊細で、ストレスに弱い部分があったのかも知れません。また、であればこそ、人間の心が分かり多くの英傑を惹きつけるそのカリスマ性が造られたのかも知れません。
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劉備が意地を張らずに、成都に戻っていたら状況は変わった?
また、このようなタイプの人物は、一度強いストレスを感じると、これを自力で克服するのが難しいタイプでもあります。
「いいじゃん、済んだ事なんだから」と自分を切り変えられないのでいつまでも、同じ事で悩んで体調を悪化させるのです。
三国志演義では、劉備が自分の徳の無さを嘆いて、関羽や張飛に謝り、私を見限ってもいいとまで自分を責めますがあれは、100%の創作ではなく、そういう部分が劉備にはあったのです。
張飛や関羽が近くにいたのであれば、劉備を元気づけて、立ち直る切っ掛けを与えたかも知れませんが、すでに二人はなく生真面目な趙雲(ちょううん)しかいないのでは、毎日、気分は晴れない状態が続いたのだと思われます。
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三国志ライターkawausoの独り言
もし、劉備が意地を張らずに成都に帰還して、孔明(こうめい)や、重臣のアドバイスや慰めを受けられたら、根は単純な劉備ですから元気を取り戻し、もう少し寿命は延びたような気がします。